家庭のタブー

筆者は、家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。

黒島家の場合、父親に対する扱い、兄に対する大人たちの扱いに、短絡的思考があったのではないだろうか。そもそも母親がこのような子育てをした理由には、母親自身が育てられた環境にきっかけがあった。

祖父は、娘である母親を溺愛し、祖母をDVしていたのだ。それは兄を溺愛する母親、妹である黒島さんを虐げる母親と重なる。黒島家の大人たち、すなわち祖父、母親は、家庭内で行われるいじめに疑問を持つことなく続けてきた。

黒島家に入った祖母は虐げられてきた張本人だが、おそらく声を上げたくても上げられずに耐え忍んで生きてきたのだろう。黒島家の婿養子になった父親は何度も疑問の声を上げてきたのだろうが、ついに限界を迎え、1人で脱出。

そうして黒島家には、短絡的思考をする大人たちだけが残った。それはさながら、高い城壁に囲まれた王国のようだったろう。失踪した父親のことを話すことがタブーとなったことがきっかけで、淀んだ空気の蔓延する家庭内では、この家庭に疑問を持つことをよしとしない風潮が生まれた。これが外界との「断絶・孤立」を進めたに違いない。

抽象的な未来的黙示録的背景
写真=iStock.com/Gladiathor
※写真はイメージです

「わが家で父の話は完全にタブーでした。父からもらったおもちゃをいくつか隠していたのが母に見つかり、ものすごい形相でにらまれながら、自分の手でゴミ袋に捨てたことがありましたが、今でも後悔しています。唯一隠し通せた小さな動物の形のキーホルダーは、あちこち取れてボロボロになってしまいましたが、今も手元にあります」

父親の失踪後、父親の話だけでなく、恋愛や性的な話題をすることは、家庭内で御法度となる。

さらに黒島さんは、「ガキのくせに恥ずかしがるな!」と言われながら小6まで母親との入浴や、母親の目の前で着替えることを強要され、胸の膨らみをチェックされた。兄は、不在の間に机や部屋をあさられ、成人してからも、買い与えられた車の車内やアパートを隅々までチェックされ、青年向け雑誌などを勝手に処分された。

「お金の不自由なく育ててもらえたことは本当に感謝していますが、母のことは今でも恥ずかしく思っています。もちろん、よいところもありますし、支えてくれたこともありましたが、人様に紹介したいとは思いません」

黒島さんによれば、母親は若い頃とても美人で異性にモテていたらしく、70歳を過ぎた今も、「私は美しいから何をしても許されるし、男はみんな私のことが好き」と信じきっており、いまだに男性に色目を使うという。

例えば、黒島さんの夫の寝顔を見に寝室に忍び込んだり、親戚との食事会で「夫さんの隣に座りたい! あんたはいつも一緒にいるんだから私に譲りなさいよ!」と本気で駄々をこねたりして、黒島さんの夫にたしなめられたりしたことも。

「昔から、『奥さん・彼女よりも私のほうがいいでしょ』と言わんばかりに、母は他人のパートナーにベタベタする人で、過去にも親戚の旦那さんに甘えた声で電話をしたり、よく行くお店の既婚男性店員に手紙を書いたりしていて呆れます」

黒島さんは小6の頃、スポーツクラブで知り合った姉妹の母親に出会ったときから、母親に羞恥心を抱いていた。

「わが子を立派に育て上げたいという母の思いはちゃんと感じていましたが、母がこうした歪んだ子育てをしてきたのは、母自身が人を“オトコ・オンナ”“自分より偉いか・偉くないか”でしか判断してこなかったせいではないかと思っています」

母親は、飲みに行ったり一緒に旅行したりする友だちは常にいるが、胡散臭い人が多く、だいたい数年すると揉めて喧嘩別れになり、また新しい交友関係を築くため、“何十年来の親友”というものは存在しないという。

祖父母からどんなことをしても無条件に愛されて育ったため、一旦こじれてしまうと、関係を修復することができなかったのか、人間関係も、“好き・嫌い”でくっきり白黒分けて考えることしかできなかったのかもしれない。