2度目の結婚

1年ほどで病気が軽快してきた頃、大学の奨学金の返済についての封書が届く。「もしこれ以上病気が悪化した上に、借金までとなるとお先真っ暗だ……」と不安になった黒島さんは、半年ほど勤務した事務の仕事を辞め、抵抗がありながらも早く完済したい一心で、キャバクラでホステスをすることを決意。

吉祥寺ハーモニカ路地
写真=iStock.com/kanzilyou
※写真はイメージです

半年ほどで完済し、その後は母親と食事に出かけたり誕生日に贈り物をしたりしながら1年ほど勤め、25歳で辞職。精神を病んでいる母親がたびたび祖母に対して嫌がらせをしたりケンカをふっかけたり、時々心配して様子を見に来てくれる親戚や友人を邪険に扱ったりするため、そばで見守る必要があったが、金銭的にも余裕ができたため家を出た。

「母は、たまにキツめに注意すると泣きわめいて謝るのですが、態度を改める様子は全くなく、同じ揉めごとを何度も起こしました。あるとき、『これは私が見捨てずに構ってくれるかどうか、愛情を試しているのではないか。このままではつけ上がるだけだ』と思い、思い切って距離をおきました」

その直後から母親は、親戚に自分から謝罪をするようになり、祖母への態度が柔和になった。逆に、黒島さんへはいつも高圧的だったのに、たまに会うとオドオドと顔色を窺うような態度に変わり、黒島さんは、「『私が自分から離れない』とタカをくくっていたのだな」と確信。

物理的に距離は取ったが、祖父母に会いに行ったり、母親の誕生日に花を贈ったりという遠隔的な付き合いを数年続けると、次第に母親の精神は落ち着いていった。

「母は不安定になると、泣いて暴れましたが、私がなだめると愛されていると確認しているようでした。私は子供を扱うように、もしくは、いわゆるメンヘラなパートナーを扱うような気持ちで接しましたが、それが功を奏しました。あんなに私を罵倒したくせに、たまにバッタリ鉢合わせると名残惜しそうにするのが、本当にメンヘラ彼女そのものでした」

家を出た黒島さんは、居酒屋で働き始めた。4年目のある日、常連客の男性と親しくなり、結婚を前提とした交際に発展。半年間の同棲を経て、黒島さん29歳、男性40歳で入籍。

黒島さんは、2度めの結婚をしてからすっかり体調が良くなった。