法制局がしゃしゃり出るから新法も時間がかかる

五、後法優先主義の無視

「日本では、ある法令の規定を新設したり改正したりする場合には、他の法令にその規定と矛盾抵触する規定がないかどうかを精査し、新しい規定との調和が図られるように他の法令の規定も改正するという法体系全体の整合性を常時確保するための作業が行われていますが、アメリカなどでは現在の法律の規定と矛盾する内容をもった新法が作られても、この新法の規定に抵触する他のすべての法律の規定は無効とする、といった趣旨の一条を置くだけです」と内閣法制局長官経験者の阪田さかたさんは書いています(阪田雅裕まさひろ政府の憲法解釈』有斐閣、二〇一三年、三二二頁)。身も蓋もない。

二つの法律が矛盾したら後からできた法を優先する。これを後法優先主義といいます。世の中は変わっていくのだから、そのほうが自然かつ合理的です。

たいていの国には後法優先の原則があるのですが、日本にはそれがないに等しい。それで法制局がしゃしゃり出てきて面倒くさいことになっているのです。

後法優先主義をとれば、法制局の仕事のうち、ほとんどは必要ないものとなります。

かつていた天敵もいなくなった

六、天敵不在

戦前、法律関連で鍵を握る機関は枢密院でした。『内閣法制局百年史』(四九頁)でも「戦前の法制局にとっての鬼門は、帝国議会ではなく、むしろ枢密院であった」と書かれています。いわば天敵です。

倉山満『検証 内閣法制局の近現代史』(光文社新書)
倉山満『検証 内閣法制局の近現代史』(光文社新書)

戦前の法制局は枢密院に監視されていて、チェック・アンド・バランスがきいていました。現代のようにやりたい放題できる状態ではありませんでした。

枢密院には現代的に言えば歴代事務次官経験者のような人が顧問官として入っています。重要な法案や条約を審査するところで、内閣が法律上おかしなことをしようとしたら指摘してくる機関でした。法制局も、衆議院や貴族院の議員を相手にするときは、あまり法律を知らない連中としてナメてかかっていますが、枢密院では厳しい質問をされるので、しっかり準備していくのでした。

戦後、日本国憲法体制下に移ったとき、衆議院はそのまま残りましたが、枢密院と貴族院は廃止されて参議院になりました。しかし、枢密院の機能は参議院にうまく吸収されませんでした。

したがって、その後の(内閣)法制局には天敵がいなくなったのです。