ひそかに「豚一様」と呼ばれていた慶喜

松浦達也『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)
松浦達也『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)

ちなみに37人いた子どもの一人が江戸幕府最後の15代将軍、徳川(一橋)慶喜であり、彼もまた稀代の肉好きだった。ただし、慶喜は豚肉に傾倒し、「豚肉」が好きな「一橋家」出身だから「豚一様」。家来衆からひそかにそう呼ばれていたという。

日本人の平均寿命がまだ40代と短かった時代に慶喜は76歳まで天寿を全うし、大往生。側室との間に21人の子どもをもうけた。斉昭の37人と合わせると親子で58人の子どもをもうける絶倫ぶり。慶喜にも、他藩に肉をたびたび要求しては困らせたという逸話がある。少なくともこの2人、肉に対する執着と性に対する前のめりな姿勢については間違いなく親子である。

ともあれ、表向きに肉食が解禁されるのは江戸末期から明治初期にかけてである。日本人は、古くから建前と本音を使い分けて、上手に肉と付き合ってきた。お上の規制と実情は、いつの時代もちょっぴりズレている。

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