※本稿は、松浦達也『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
日本人が肉を食べなくなったのは646年以降
さて、ここで江戸時代までの日本の肉食の歴史を、“超訳”版でざっくり振り返っておきたい。
日本で肉食文化が一般に広まったのは、明治の文明開化以降のこと。江戸の後期から「ももんじ屋」などのぼたん鍋料理店はあったものの、地域や調理法は限定的だった。7世紀以来何度となく繰り返されてきた肉食禁止令もあって、おおっぴらに食べることに抵抗のある人々も少なくなかった。
そもそも、古来豚肉などを食べていた日本人が肉を食べなくなったのは646年、孝徳天皇の大化改新の詔が発布されて以降のことだ。
当時のお触れを意訳すると、「4~9月までの間に農民が酒を飲み、(鳥や魚などの)うまいものを食べるなんてもってのほか。農作業にいそしむべし」という内容である。
このお触れ自体は肉食禁止というよりも、「贅沢禁止」「仕事にいそしむべし」という性格のものだったが、そもそも肉を食べていなければこうしたお触れは出るはずがない。
桓武天皇が肉食禁止令を出した本当の理由
675年には天武天皇が「牛・馬・犬・猿・鷄」の明確な肉食禁止令を初めて発布した。
このお触れは仏教由来とする考え方が多いが、実は本音の部分では律令制度の導入に伴う徴税体系を強化したかったという側面もあったと思われる。
当時の牛や馬は農耕用。目先のおいしさにかまけて……という意図はなかったとしても、不具合の出た牛馬をと畜してその肉を食べれば農作物の収量は減る。さらに酒を飲み、農作業がおろそかになればもっと減る。当時の税は米だ。為政者として、税収を減らすわけにはいかない。だからこそ、肉食をはじめとする贅沢を禁止して乗り切ろうとしたのではないか。
ところが、いまより遥かにお上の威光が強かったと思われる当時でも、思いのほか庶民は言うことを聞かなかった。その証拠に、平安時代以降にも、こうした肉食禁止のお触れはたびたび出されることになる。