現実から乖離した政策

しかしながら、このような女性が働きやすくしようと後押しする政策が整備され、制度化されても、女性を取り巻く社会認識、女性をどのような眼差しで見ているか、つまり「女性に対する認識」が実はたいして変化していないのではないか? という疑問がつきまとう。なぜならば、女性を労働の現場に戻すためのインセンティブを仕立てることと、女性そのものに対する認識の変化を促すことは、必ずしもイコールではないからである。

「女性が輝く社会」を掲げた安倍総理は、政権発足時から成長戦略を通じての積極的な女性登用の方針を明確にしていたという。が、そんな安倍政権の「意気込み」がいかに現実と乖離かいりしているかを示した例は、ご記憶かと思うが、安倍首相自身が2013年4月に日本記者クラブで行った成長戦略第二弾に関するスピーチで提示した、女性の育児休業を3年間とする「3年間抱っこし放題」政策である。実際には「3年間も職場から離れたら元の職場に戻れない」「産休を取ることにすら直接・間接的に偏見や差別がある」といった女性たちからの批判の声があがり、この「3年間抱っこし放題」政策は間もなく封印された。

この政策が示したのは、出産を経て育休を取ることへの現実的な女性への社会の眼差し(本書では「女性認識」と表現する)を理解していないという、ジェンダーの視点を欠いた、経済政策の限界である。

女性への認識はまったく変わっていない

なぜ冒頭でこんな「昔」の話を引き合いに出したかといえば、「女性に対する認識」――女性をどのような眼差しで見ているか――がまったくと言ってよいほど変化していない現実が、ここにきて顕在化しているからである。少なくても「変化していない」ことについて、女性たちがようやく猛烈に声を上げ始めてはいるが、だからといって「女性に対する認識」が瞬く間に変化し更新されるわけではない。それほどこの社会に根づき育まれてきた「女性認識」は堅牢である。本書のテーマはそのような女性認識がどのように育まれてきたかを、戦後政権党として長らく日本政治を主導してきた自由民主党の政治指向の形成過程から解き明かそうというものである。

本書『自民党の女性認識』がこうした分析の仕方をとるのは、本書のテーマへの入口である「女性代表が国会においてかくも少ないのか?」という疑問に対して、自民党の「女性に対する認識」こそが日本の女性の政治参画への機会を奪う根本原因であるとの視点に立っているからである。

ただ、最近の「ジェンダーレス」「ジェンダーフリー」の議論に照らせば、「女性」「男性」と区別して検討すること自体に異論はあろう。が、ここでは、これまで男性が圧倒的多数派として営まれてきた政治の現実に、「なぜ女性参画が困難だったか」を分析することを目的としており、政治におけるジェンダーの多様性への理解や認知の貧弱さは本書では論じきれないテーマであることをご理解いただきたい。