「FIRE」という言葉に感じる違和感
ここ数年「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」という言葉がしきりと取沙汰されている。経済的自立(たとえば1億円を貯める)を果たして若いうちにリタイアし、以降は貯めた資金を元手に投資をおこなって、運用益で生活費をまかなう……という生き方だ。
話題にされた当初は「仕事にも居住地にも縛られない自由な生き方ができる」「不労所得を得られるなら、もう働かなくていい。最高だ」などと憧れをもって捉えられていたものの、最近では「その後の人生、暇では?」や「正直、1億円じゃ足りないだろう」「そもそも1億円を貯めるのが難しい」といった否定的な声も上がるようになっている。
私は以前から、この「FIRE」という言葉のニュアンスにどこか馴染めなかった。まず、言葉としてカッコよすぎるというか、スカしているような気恥ずかしさがある。また「1億円ほど貯めましょう」「それを元手に資産運用しましょう」とあっさり説明されるが、本当に実現しようとするとなかなかハードルが高く、誰にでも真似できるような営みではないだろう。加えて「単なる世捨て人」「綱渡り人生になるのでは」といったネガティブなイメージも拭いきれない。
「FIRE」は難しくても「BOYA」なら実現できるのでは
先日、寿司屋で当連載の担当・U氏と次回原稿のテーマを考えていた際、話の流れでFIREの話題になり、上に述べたようなことを確認しあった。そして出てきたのが「BOYA(ボヤ)」という言葉だ。
「BOYA」はあくまで造語。寿司をつまみながら即興で思い付いた言葉である。私が「FIREは難易度が高いですよ。もう少し軽めに、目線を下げて……FIRE(大火事)ではなく、BOYA(小火)くらいの人生を目指すほうがよいのでは?」と冗談を言ったところ、U氏は「それ、身の丈感があっていいですね! では『BOYA』でそれっぽい並びの英語を考えてみましょうよ(笑)」とノッてくれた。
私も面白くなって10秒ほど考え、ノートにササッと書き付けたのが「Burned Out Yet Attempting」というフレーズだった。われながら、こじつけにもほどがある。だが、思い付きのわりには意味的に外していないようにも感じた。日本語に訳すなら「燃え尽きたが、いまだ挑戦中」といったところか。
もう少し詳しく意図を説明するなら「仕事に対して『もう十分頑張った』『やり切った』感覚を抱けるようになったので、もはやガツガツと働く気はない」「でも、仕事をまったくしないのも暇だし、日常に張り合いがない。そもそも仕事をしないと社会との接点が持てない。また、多少の贅沢も気兼ねなくしたいし、自分が望む交友関係も継続したい。だから、それらを維持できる程度には働く」ということだ。