新型コロナへの対応をめぐって、海外と日本の差が広がりつつある。ライター・編集者の中川淳一郎さんは「日本の『コロナ騒動』が収束しない原因は、過度に他人の目を意識し、多数派に合わせて本心を抑え込んでしまう日本人の特質にある」という──。
マスクを着用しこちらを見つめる女性
写真=iStock.com/monzenmachi
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コロナ騒動を通じてわかった日本人の2つの行動規範

コロナの混乱が続いたこの2年ほどで、よくわかったことがある。日本人にとって極めて大切な行動規範は「他人に迷惑をかけない」「他人のために自分は我慢をすべき」の2つである、ということだ。

これらは別の言い方をすれば「謙譲の美徳」「利他の精神」といった立派な姿勢になるのかもしれない。だが、2つの規範の根底にあるのはあくまで「そうしないと自分は批判されてしまうし、居心地が悪くなる」という消極的な(そしてある意味、利己的な)感情なのである。

つまり100%納得しているわけではなく、「配慮(という名の自我の封印)をすること」と「批判されたり、居心地の悪さを感じたりすること」を天秤にかけ、どちらがより苦痛かを基準に選択しているにすぎない。

その結果、「配慮をするほうがラクだし、攻撃もされない。余計な波風を立てたくないし……」と判断して2つの規範を守る人が圧倒的多数派となり、社会的な空気は強固なものになっていく。

コロナ絡みでやり玉に挙げられている少数派3種

社会的な空気の圧は相当なもので、ひとたび流れができてしまうと、強固になった規範はさらに強さを増していくことになる。理由は「他人の目」だ。

自分が少数派になればなるほど他人から向けられる目差しは厳しくなり、多数派は「少数派こそ社会に害悪をもたらす存在」と考えるようになる。

現在、コロナ騒動においてやり玉に挙げられる少数派は、具体的にいうと

(1)COVID-19を「恐怖の殺人ウイルス」と捉えず、あまり恐れない人
(2)マスクをしない人
(3)新型コロナウイルスのワクチンを接種しない人

の3種類である。

以下、上記3タイプの特徴や世間の扱いについて、詳しく見ていこう。