「すみません、もうやってないんですよっていうと、皆さん驚きますね。今ではバナナジュース屋ですからね」

ぼくの記事に対する同じような批判は少なくなかった。なぜつぶれた店を取り上げているのか。食べられない料理店に意味がない、と。わからなくもない指摘だが、この変化の早さこそ黒田の経営の魅力でもあった。

バナナスタンドのオーナ、黒田さん
バナナスタンドの黒田さん(バナナスタンド提供)

2018年に大手証券会社を飛び出して焼きそば店を開業し、メディアで紹介されて店の人気に火がつくと、1年も経たないうちに2号店に打って出た。コロナで客足の変化を察して、サイドメニューであるバナナジュースをビジネスの中心にして、専門の店舗を立て続けに出店する。焼きそば店からはあっさりと身を引いた。

街以上のスピードで、黒田のビジネスはどんどん変化していった。

黒田が将来目指しているのは、食の総合プロデューサーだ。食べることを通じて人々の生活を豊かにしたい、という強い思いがある。そんな黒田にとって、「テーブルのない飲食店」は思い描いていた理想とは大きく異なるかもしれない。

しかし夢を実現するため、まずは目の前のコロナ禍を生き残る必要がある。変化に合わせてメニューも店も柔軟に変える手法は、そのための方策だった。これからどんなことがあっても、経営者としてこの経験を活かすことができるはずだ。

29歳の「脱サラ店長」の後悔と大きな夢

コロナ禍を生き残るためとは言え、状況に応じてメニューも店も変えてしまうビジネスのやり方に黒田自身は戸惑いも感じているようだ。

「がっかりして電話を切るお客さんの声を聞くたびに、本当にこれでよかったのかなって思うんです。食事って文化じゃないですか。ある焼き肉チェーン店も焼き肉では大成功したけど、しゃぶしゃぶを全国展開で収益化するには10年かかったっていうんですよ。ぼくたちが普通に食べてるものでも、地方によっては食文化として根づいてないところがたくさんあって、それを変えていくには時間が必要だっていうことなんだと思います」

「焼きそばをやめるのが早すぎたっていうことかな?」
「外食として定着させるには、2~3年じゃダメなんだろうなって思いました」
「持ちこたえられる体力があれば良かったけどね」
「今までは仕方なかったと思うんですけど、これからは焦っちゃいけないと思うんです。やり方が変わったんですから」

コロナが直撃した頃は、赤字を止めるのに一生懸命だった。生き永らえたからこそできる後悔といえるが、急ぎ過ぎて自分のことしか考えていなかったかもしれないという。