なぜ「昭和のセクハラ発言」は後を絶たないのか

「もはや昭和の時代の想定が通用しない」――。政府が6月3日に決定した、女性活躍のための「女性版骨太の方針2022」は、人生100年時代の女性の人生を、こう表現する。

「昭和の時代」とはどんなものだったのか。私は昭和時代の末期に、全国紙の記者として採用された。他社も含めて女性記者はまだ少なく、物珍しさもあってか、男性たちから女性に対する心ない声をたくさん聞かされてきた。それは平成になっても続いた。それらの言葉の中には、傷つける意図ばかりではなく、むしろ喜ばせようとか、笑わせてやろうなどという無意識から出てくるものもあったように思う。

マイク2本を持ちながらメモを取る女性の手元
写真=iStock.com/Mihajlo Maricic
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官庁の記者クラブ詰めをしていた時、仕事ができる女性官僚を「彼女は男ですから」と言う役所の幹部がいた。その女性官僚への褒め言葉と受け止めたが、女性は仕事ができないと言わんばかりの表現がまかり通っていた。そういう体質があるためか、キャリア女性官僚が少ない官庁だった。だが、それを問題と受け止めるのではなく、むしろ「自分たちは男にしかできない仕事をしている」と、誇っているようだった。

「ロケットって男性のアレに似てるじゃない」

科学技術関連学会の会長記者会見に初めて参加した時には、開始前に事務局の男性から突然、耳元でささやかれた。「ウチの会長は女らしい人が好きですから」。「はぁ?」。相手の意図が分からなかった。

世間でよくいう「お手柔らかにお願いします」を、女性向けに「翻訳」すると、こうなるのだろうか。男性記者には「ウチの会長は男らしい人が好きですから」とは、まず言わないだろうに。

私は長年、ロケットなどの宇宙開発を取材しているが、こんなこともあった。ある組織の男性幹部を取材している時、その男性が笑いながら私にこんなことを言った。

「ロケットが好きな女性って何か変だよね」
「えっ、何が?」
「だってロケットって男性のアレに似てるじゃない。それを好きなんでしょ。フフフ……」

本人はしゃれた冗談を言ったつもりだったようだが、こちらは気持ちが悪くなった。

なぜあえてこうした女性が不快になるような性的表現や差別的にもとれる表現を言い募るのだろう。そしてそれはなぜ令和の今も続いてしまっているのだろうか。