「生娘シャブ漬け」をそのまま報じない新聞
例えば4月に明るみに出た大手牛丼チェーン・吉野家の常務(当時)の発言。「生娘をシャブ漬け戦略」「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢、生娘のうちに牛丼中毒にする」などと口にし、直後に解任された。
ネット社会の今、ニュースの第一報は、ネットやSNSで知る人が多い。では、その後に報じることになる新聞などの、伝統的なニュースメディアはどうか。
吉野家元常務発言をめぐっては、報道ぶりが分かれた。「シャブ漬け」なども含めて報じるところがある一方、そのままでは不快感を与えると判断したのか、表現を柔らかくするところも目立った。
例えば「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子」を「地方から出てきたばかりの若い女の子」に。「無垢、生娘なうちに牛丼中毒にする」は「若い女の子を牛丼中毒にする」といった具合だ。刺激的な言葉を避けている様子が分かる。
だが、これではどこに問題があるのか、いかに女性に不快感を与えているのかが、伝わらない。SNSで広がっているあの問題のことかどうかも分かりにくい。
「口で言われるだけなら実害はない」とか、「言葉狩り」と批判されるかもしれない。ただ、気になるのは、そうした問題は、もっぱらネットを通じて明るみに出たり、広がったりしていることだ。
表現の自主自制がセクハラ発言を助長している
新聞のような昔からあるメディアは、「品がない」「読者に不快感を与える」「誤解や批判を招く」などと配慮して、きわどい発言をマイルドな表現に書き換えたり、伝えなかったりする傾向がある。
その結果、人々の関心事や騒動への過小評価へとつながっていく。一方、暴言や失言をする男性側には「どうせ取り上げないだろう」「マイルドにするだろう」との安心感を与え、それが問題発言の温床となっているように思う。
5月末には週刊文春が、細田博之衆院議長が女性記者にセクハラ発言した、と報じた。細田議長は全面否定し、週刊文春に抗議文を送り、訴訟も検討するという。この件に限らず、セクハラ問題が取り沙汰される背景には、マスメディアの抱える構造的問題もあると思う。特に密着取材が不可欠な政治家の取材は、セクハラを生みやすい土壌があるように感じる。