※本稿は、枡野俊明『やめる練習』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
心を縛る「妄想」を手離す
人の世は一瞬たりともとどまることをせず、絶えず変化をしています。常が無い、つまり無常です。常に変化していれば、未来に何が起こるかは人の理性では予測できません。人生とはそういうものですから、不安のない人などいません。
「莫妄想」という禅語があります。「妄想するなかれ」という意味ですが、この場合の妄想は心を縛るものすべてを指します。不安はその最たるものでしょう。
試験に受かるかという不安、果たして望んでいる会社に入れるだろうかという不安、新しいプロジェクトがうまくいくか見通せない不安、ちゃんと生活を送っていけるのかという不安、家族に何か起こるんじゃないかという不安、病気になるんじゃないかという不安、死に対する不安……。
じつにさまざまな「不安」が人生にはつきまといます。
人が生きていくうえで「不安」は必要
小さなことから大きなことまで、次から次へと何らかの不安を感じながら生きていくのは、人間の宿命ともいえます。
もっとも、不安を持つことはマイナスな面だけではありません。プラスの面もしっかりあります。
さまざまなリスクから自分を守るには、それを敏感に察知する感覚がアンテナとして必要だからです。もし不安というものをいっさい持たない人がいれば、さまざまな危険やトラブルを予測できず、大変なことになってしまうでしょう。
人が生きていくには不安はある程度、必要だということです。