さまざまな不安から解放される方法はないのか。建功寺住職の枡野俊明さんは「いま、禅語でいう“妄想もうぞう”でみずからを追い込んでいる人がたくさんいます。その最たるものが『不安』です」という。存在しないものにおびえ、間違った行動を重ねて大失敗……そんな負のサイクルを抜け出す方法を、セブン-イレブン限定書籍『やめる練習』から明かす──。(第2回/全3回)

※本稿は、枡野俊明『やめる練習』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

心を縛る「妄想」を手離す

人の世は一瞬たりともとどまることをせず、絶えず変化をしています。常が無い、つまり無常です。常に変化していれば、未来に何が起こるかは人の理性では予測できません。人生とはそういうものですから、不安のない人などいません。

莫妄想まくもうぞうという禅語があります。「妄想するなかれ」という意味ですが、この場合の妄想は心を縛るものすべてを指します。不安はその最たるものでしょう。

試験に受かるかという不安、果たして望んでいる会社に入れるだろうかという不安、新しいプロジェクトがうまくいくか見通せない不安、ちゃんと生活を送っていけるのかという不安、家族に何か起こるんじゃないかという不安、病気になるんじゃないかという不安、死に対する不安……。

じつにさまざまな「不安」が人生にはつきまといます。

枡野俊明住職
写真撮影=永井浩
枡野俊明住職

人が生きていくうえで「不安」は必要

小さなことから大きなことまで、次から次へと何らかの不安を感じながら生きていくのは、人間の宿命ともいえます。

もっとも、不安を持つことはマイナスな面だけではありません。プラスの面もしっかりあります。

さまざまなリスクから自分を守るには、それを敏感に察知する感覚がアンテナとして必要だからです。もし不安というものをいっさい持たない人がいれば、さまざまな危険やトラブルを予測できず、大変なことになってしまうでしょう。

人が生きていくには不安はある程度、必要だということです。