今まで長い間、勉強から離脱していた少年たちも、矯正施設である少年院にいる限りは嫌でもここでは逃げることはできず、仕方なく「授業を受ける振り」だけでもしないといけません。だが、どんなに勉強が嫌いでも、分かる授業であれば徐々に楽しくなるものです。この変化は彼だけではないことは、行くごとに少年たちの様子から分かりました。

少年の心の扉には取っ手は内側にしかついていませんが、周りの大人が諦めず彼らに寄り添い続ければ、扉は開くものだと実感した一瞬でした。

学生時代に教師にやってほしかったことを実践したが…

少年院では原則、施設内では少年の身体に触れることは禁じられているのですが、私はそのことを知らず、3年が過ぎた頃のこと。

私は小・中学時代、授業中は空気のような存在だったので、心の中で教師から声掛けをしてもらいたい、肩でもポンとたたかれ「大丈夫か?」なんて言われてみたいと漠然と思っていたものです。だから、私は少年院では常に少年に声掛けをし、肩に手をのせながら「どう? 分かる?」と話しかけていました。

そして、ある地方の少年院から中学生の授業サポートの依頼があり、月1回(2日間)、毎回、初日の午後は教科指導担当の法務教官のもと、模範授業を行うことになっていて、そのときに問題が起こりました。

親から折檻を受けていた少年にとっては「殴られた」

授業中、ひとりの少年に「前に出て黒板でこの計算をやってみて!」と指名したのです。しかし、その少年は自信がないから嫌だと。そこで私は「間違っても構わないんだから、やってごらんよ。間違っていいんだから!」と笑顔で声掛けをしながら、少年の肩を軽くポンとたたいて前に出て解くようにうながしました。

すると、少年は嫌々ながらも黒板の前に行き、途中式を省くことなく正しく計算ができました。私は「ウンウン、よくできている」と褒め、この調子で頑張ってねと、また、軽く肩を2回ほどポンポンとたたいたわけなんです。

一般的には、この授業風景に違和感を覚える方はいらっしゃらないかと。でも、あくる日、施設に行ったときのこと。法務教官から「先生、昨日の授業に出席していた少年が、寮に戻ってから『髙橋先生に授業中、殴られた』と訴えてきたんです」と言われ、私は意味がまったく分からず。

教官が言うには、訴えてきた少年は嫌々ながら黒板で計算をさせられたあの少年。でも、運がよかったことに彼の担当教官が授業にも参加していたので、教官から少年に「殴っているのではなく、励ましの意味で肩をたたいただけだよ」と、話をしてくれたそうです。

教官から聞いた話では、その少年は家で常に親から折檻せっかんを受けていたらしく、だから、触れられることにとても敏感になっていることを知らされ、このとき初めて入院少年の心の傷の深さを知る貴重な経験をしました。だから、これ以降、少年の身体には触れることなく、とにかく、できるだけ少年の言葉に耳を傾け、寄り添うことだけを心がけて意識するようにしています。