「楽してお金を稼ぐ方法を知っている」という不安
こんな感じで空気がだいぶ和んだところで、私が「何で高認試験を受けたいの?」と。彼は突然真面目な顔になり「父親が会社をしていて、社員も自分が跡を継ぐと思っているが、父親とは本当に仲が悪くて……。でも、いつかは親孝行ではないが継がないとなと思い、大学で経営の勉強をしたいと思っている」。
「なるほどね、でも、今までの生活を考えると受験勉強は大変だよ。できる?」と聞くと、「先生、自分がやってきたことが自分でも信じられないほど、どんなに悪いことをしてきたかは分かっている。だから、勉強してしっかりとやって行きたいというか、やらないといけないと反省している」と話してきた。
彼の表情には嘘はなく、十分に反省しつつあると感じました。そして、最後に彼がぽつりと言った言葉が、「先生、でもね、社会に出て本当に本当に辛くなったら、俺、楽してお金を稼ぐ方法を知っているから、もしかすると戻ってしまう自分がいるのも確かなんだよ」。
どんなに働いても生活保護以下の給料が当たり前
実は、この彼の心の弱さからこぼれ出る言葉は、同様に他の少年も口にします。額に汗して手にしたときのお金の大切さは、筆舌に尽くし難い。でも、現状の格差社会において、学歴もなく、どんなに一生懸命働いてもワーキングプアーと言われるように、ひと月の給料が生活保護の受給金額より低いのが当たり前になっている今日の社会で、彼らの「楽して稼げる方法を知っている」部分にふたをして生きていくことへの不安は、ある意味正直な気持ちであるはずです。
だが、少年院で真剣に自分と向き合う時間を過ごしているからこそ、この心の葛藤が生まれるのも確かなことだとも思います。よって、今後の課題として、社会が彼らを受け入れる許容量が試されているとも言えるはずです。だからこそ、そのためにも少年院での矯正教育の現状と意義を、しっかりと社会に向けて発信し続けることが必要であると強く思うわけです。
その後、彼は高認試験の数学に合格したことで、もう会うことはないと諦めていました。でも、半年後、教官に彼の様子を尋ねると、偶然にも彼が出院する10日前であるとのこと。私は出院の最後の期間は単独室で過ごすことを知っていたので、個別指導時、その区画担当で親しくなった教官に「1~2分でいいので、彼に会わせて欲しい」と頼み、会うことができました。