対話を持ちようがない相手から攻撃を受けた場合、われわれはどう対処すればいいのか。哲学者のマルクス・ガブリエル氏は「敵対する相手にこそ、ことのほか友好的であるべきだ。殺す意図を持たず敵を受容するのは、相手の敵対姿勢を崩す戦略になる」という――。

※本稿は、マルクス・ガブリエル著、大野和基インタビュー・編、月谷真紀訳『わかりあえない他者と生きる』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

銃を持つ人の影
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話し合いは万能の解決策

私は常々、話し合い(合理的な分析や公開ディベート)の重要性を説いてきました。最近はソーシャルメディアの悪影響で、理性的に話し合うのが難しくなっています。

しかし、私は現代社会において、話し合いは万能の解決策になりうると信じています。

すべての市民が本音で対話する話し合いの場、フォーラムを設けるべきです。義務化してもいいくらいかもしれません。例えば月に1回とか年に3回というふうに、定期的にミーティングに参加しなければならないことにする。それが市民生活の一部なのです。国民としての義務です。

そこであなたは人と話さなければならない。国が異質な者同士を組み合わせるよう人選するのです。フォーラムには自分のような人は1人もいない。それでも相手と話さなければならない。相手のことをいやでも知るようになります。このような形が理想です。自分とは違って見える人々と共通の問題について話し合う。これが理想のフォーラムです。

私は話し合いや対話を本気で信じています。そして民主主義社会は守られた場を創造できると。私とタリバンが対話することはおそらくないでしょうが、対話できるものならしてみたい。もしアフガニスタンに招かれても行きませんよ、あまりにも危険ですから。でもタリバンの代表団、哲学者か宗教指導者か、向こうでどう呼ばれているかわかりませんが、そのような立場の人たちと会って女性の教育について話し合いができるなら、参加したい。彼らがしていることは間違いだと説得を試みます。

彼らの行為は間違っているという確信がありますが、話し合いには喜んで参加します。彼らの理由を聞きたいのです。予想通り理由がなかったり、あるいは間違った理由であったりすれば、それでわかるわけです。しかし私たちが何者でどうなりたいかについての、本音の実のある話し合いはこうあるべきです。