一生のうち3カ月は違う国に暮らすことを義務づける

また、欧州連合内で実現できるかもしれない次のような構想も持っています。

一生の間に3カ月間、別の国で暮らすことを義務付けるのです。行き先はランダムです。皆がフランスに行くことはできません。無作為に決まります。欧州連合内のどこで3カ月間暮らすかはクジで決まりますが、行かなくてはなりません。そして自分とは違う社会的地位の家族と生活をともにするのです。

貧しい人は裕福な家族と、裕福な人は貧しい家族と暮らすのです。混ぜなければなりません。これも民主主義役務ですね。こういう制度を設けるべきだと思っています。東京の人は京都に、京都の人は大阪に、あるいは本州から別の島に、心の国境を越えるために行くのです。そうすれば……多くの哲学者はこういうことをやりたがらないでしょうね。

夕暮れ時のネオン溢れる新世界の街並み
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しかしプラトン(注1)がこれに当たることを言っています。西洋の政治哲学の起源となった『国家(注2)の有名な一節、洞窟の喩えの中でこう言っているのです。「人々は洞窟に縛りつけられて壁に映し出された影を見ている」と。これが政治空間です。これがソーシャルメディアです。人々は惑わされて幻を見ているのです。哲学者はどこかおかしいと気づいて洞窟から抜け出します。

※注1:プラトン(紀元前427頃-紀元前347)古代ギリシャの哲学者。師ソクラテスの教えを対話篇としてまとめ、のちに「イデア論」を構築した。また、アカデメイアと呼ばれる学園を建設し、哲学の教育に励んだ。主著に『国家』『法律』など。
※注2:『国家』プラトンの主著の一つ。人間の魂には理性、士気、欲求の3つの機能を司る部分があるとし、この三分説は社会全体にも当てはまると考えた。

理想の政治家は「政治家になりたがらない人」

そしてプラトンは言うのです。

「哲学者を洞窟に連れ戻して人々に語りかけさせなければならない」と。

哲学者は洞窟の外にいたがる。それは人々と話したがらないのと同じです。

だからこそ哲学者は政治に参加すべきなのです、哲学者が政治に関わりたがらないからこそです。民主主義社会にとって理想の政治家は政治家になりたがらない人です。腐敗していませんから。だから哲学者を訓練して民主主義ミーティングを運営させるべきだと考えているのです。有益なモデルになるはずです。