大きな改革にドラマは必要ない

新刊である『日本人のための議論と対話の教科書』のなかで、10年間で150万円平均年収を引き上げることができた私のクライアント企業の話をしています。執筆していたときに担当編集者から「そこまでの変革が起きたなら大きなドラマがあったでしょう。それを書いて下さい」というリクエストを受けたのですが、そこで考え込んでしまいました。

なぜなら、実際にはそんな「ドラマ」はなかったからです。実際には、「敵と味方」に別れた罵り合いがヒートアップする遥か手前のところで、自分たちにとって大事な課題が何かを常に意識共有し、毎日起きる課題を潰し続けていただけでした。

そして当たり前の変化を10年間続けていたら、「そういえば、10年前に比べて平均賃金が150万円ほど上がってたな」とふと気づいたのです。

今の時代の私たち日本人は、「論敵を強烈に論破して方向性の変化を無理やり納得させること」なしには「改革」ができないと思い込みすぎているように思います。

実際に行われる「戦略」の大筋の中身は、すでに世の中に転がっているものを取り入れる程度でいいことが多いです。なんだか奇想天外な秘策がなければ成功できないということはあまりない。

今の日本には「本当にしっかり実行できたらすごくよいアイデアのヒント」ぐらいなら探せばいくらでも転がっています。

大事なのはそのアイデアを、「その会社」の事情に合わせてしっかりカスタマイズし、そこに参加者のやる気を引き込んで、フラフラせずに10年単位でやり続けることです。

たとえば大学受験のときに、「次々と書店で新しい参考書を買ってきては勉強した気分になる」のが最悪で、これと決めた教材を徹底的にやり込むことが成功への道だったのと同じですね。

次々と流行りものに手を出すよりも、ひとつのアイデアを「自分(たち)の場合」にどこまでピッタリ合わせていけるかの方が大事なのだ……という発想の転換が、今の日本には必要なのだと私は考えています。

そういう「自分たちにとって何が大事なのか」という軸を先に見出す事ができさえすれば、そこからは外資コンサル的なスキルで引っ張っていくことも急激に有意義なものになっていくでしょう。

「論破」よりも「価値のある議論と対話」

ここまで書いたようなことは、いま全力で「ベタな正義」同士の争いが起きている組織で暮らしている方には経営コンサルタントが考えた単なる正論に聞こえるかもしれません。

倉本圭造『日本人のための議論と対話の教科書』(ワニブックスPLUS新書)
倉本圭造『日本人のための議論と対話の教科書』(ワニブックスPLUS新書)

しかし、「よい状態にある組織」で働いている人からみれば、「いやいや、働くって当然そういう事でしょ? 何言ってるの」というレベルの話でもあります。

「論破」にこだわる人は、一緒に働いているまわりの人よりも物事を言語的に捉え返して理解する能力が高い人なのかもしれません。

その「能力」を自分のためだけに使い、「まわりの仲間」を威圧するだけで何も変わらないだけで終わるのか、それとも「彼らの分の事情」もさかのぼって理解し言語化し、一緒に自分たちのオリジナルな解決策を生み出していけるのか。

そこが、10年単位で物事を見た時に大きな分かれ道になります。

「論破」よりも、日本中に「価値のある議論と対話」ができる環境を押し広げていきたいものです。

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