諦めることで仕事が早く終わる
事前にやりがいをつぶしておくことで、期待値は低くなる。仕事なんてこんなものという諦めがあれば、仕事に裏切られることはなくなる。
つまらない仕事に対しての不満を最小限に抑えることで、こんな仕事やっていられないという負の感情も抑えられ、仕事の効率ダウンも最小限に抑えられるはずである。つまらない仕事を早く終わらせてしまって、次の仕事へ意識が向いていく。
例えば上司に呼び出されてリストラを任されたとする。
上司はリストラを「会社にとって意味のあるやりがいのある仕事」と言う。だが、リストラ候補の社員や家族の将来を考えたり、リストラを告げる時を想像したりするうちに、どう考えてもやりがいのある仕事とは思えなくなる。
どうする?
高まってくる感情を抑えながら、リストラ仕事とやりがいをはかりに掛けてみよう。感情で熱くなっている頭を冷却するように手帳に書いていく。上司の言うやりがい、「リストラをやり切った先に約束される出世」のような見返りと、それを得るために犠牲にしなければならないものを書き出す。
会社員として働いていると昇給や昇進は大きいものである。見逃せない。だがそれに伴って失われるものと比較検討してみるのは難しい。頭のなかは「昇進ラッキー!」でいっぱいになってしまうからだ。だが書いて比較検討することで頭の中はクリアになり、損得勘定が正確にできるようになる。
このようにポジティブとネガティブな要素を書き出しておくと、過剰な期待も悲観的になりすぎることもなくなる。五木寛之先生が『大河の一滴』で、「今こそ絶望からはじめよう」とおっしゃっていたのはこのことではないだろうか。
「やりがい」なんてたくさんあるわけがない
仕事に対して期待をしすぎるなということ。
やりがいを期待しすぎないことには、実はもうひとつの効果がある。
それは、仕事をしているうちに、広大な砂漠を歩いているときに大量の水を蓄えている小さなオアシスを見つけたときのように、まれに出会う楽しさや充実感をともなったやりがいを存分に味わえるようになる。
僕らはやりがいにとらわれている。そのやりがいは自分にとって楽しい、役に立つやりがいである。そんな自分にとって都合のいいやりがいが大量にあるわけがないではないか。あるはずもないものを探しているから、目の前にある仕事への不満が蓄積してSNSなどに投稿して憂さ晴らしをするはめになる。
そのような状態では真のやりがいを見逃してしまうことだってあるだろう。真のやりがいは希少だ。ゴミのような仕事のなかで時々流れてくるものだ。やりがいを感じられないとふてくされて正常な判断力を喪失していたら見つけられない。