「やりがい」は求めるほど見えづらくなる

次第に、まったくのゼロから事業を立ち上げたいという考えに共感してくれる若い経営者と関係性を築けて、それが面白さになった。諦めていたからたった一つのアポが取れた時の喜びもひとしおで、それが仕事を加速させた。そこから大型契約をひとつ取ることができて、支社開設までこぎ着けることができた。支社開設まで3年の計画が、1年と少しで達成することができたのだ。

フミコフミオ『神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する』(KADOKAWA)
フミコフミオ『神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する』(KADOKAWA)

このように、仕事に対するやりがいを求めないスタンスを持って日々の仕事に当たることで、面白くない仕事を面白くない仕事とそのまま受け止められれば、絶望することはなくなり平穏な気持ちでいられる。

淡々と仕事をこなせれば、早く進められる。やりがいのある仕事だから楽しいのではないのだ。楽しい仕事がやりがいのある仕事のように思えるのだ。すべて、自分によってつくられた錯覚なのである。

やりがいのある仕事を求めすぎている、やりがいにとらわれていると思ったら、目の前にある仕事から得られるものを書き出して整理してみよう。

やりがいのないと思われる仕事にも利益、技術、経験といった、やりがいがあることが確認できるはずで、そこに楽しさや個人的に役に立つことがないだけなのである。そのような個人的なやりがいのある仕事を確実にゲットするために、仕事に対して冷静であり続けることが必要なのだと僕は思うのだ。

【関連記事】
【第1回】「やられても、やりかえすな」リアル半沢直樹で退社した会社員を待ち受ける残念な結末
「出世に全く魅力を感じない」そう考える優秀な若手ほどイライラを隠せない"ムダな業務"リスト
「成果主義ではみんなやる気を失ってしまう」稲盛和夫がそう考えるようになった納得の理由
ダメな上司ほど最初に使ってしまう…「部下との1対1」で避けたほうがいい"ある言葉"
中途入社の新人が、初日に職場のトイレを見て即退職を決めたワケ