やりがいは「個人的な楽しみ」とは限らない
もちろんその過程において技術や経験は蓄積されている。また、人事や総務といった管理部門の仕事は会社の利益を直接生み出していないが、バックアップで間接的に利益、技術、経験を生み出している仕事なので、利益の有無という点からみても、やりがいは存在するのである。
つまり、誰かが仕事におけるやりがいを話題にするとき、そのやりがいとは個人的な楽しさや個人にとって将来役に立つようなものがあるかどうかが問題になっているのだ。
もっと大きな視点を持って仕事に当たろう。
大きな視点というのは、個を殺すことではない。個としての充実感を仕事に過剰に求めないということである。個人的に得られそうなもの、そういう類いのやりがいを仕事に求めないようにしていくことが仕事を続けていくうえで肝心なのだ。
とはいえ、楽しい仕事や、成長を実感できる仕事のほうが「やりがい」を感じられるのは間違いない。
おそらく、心身共に充実した状態になって、仕事もサクサク進む。疲労感も少ない。誰でもひとつやふたつそういった経験があるから、「やりがいのある仕事とはかくあるべし」という認識を持つようになる。
仕事への期待を手放せば不満は少なくなる
確かひと昔前のユーチューブのCMのスローガンが「好きなことで、生きていく」だったと記憶している。その「好きなこと」と「生きていく」という、会社員生活では相反するような価値を持つ言葉をつなげるのが「やりがい」なのだ。
だが、実際問題、仕事は楽しいものばかりではない。働きはじめてから楽しい時間が1秒もない人もいるはずだ。先ほど話に出した「好きなことで、生きていく」的なユーチューバーであっても、毎日動画編集をしていれば、思うように動画が作れなかったり、あるいはネットに公開した動画が炎上してその対応に追われたりして、毎日が楽しい時間ばかりではないと思われる。
まずは、仕事において個人的なやりがいを求めないようにする。諦念を持つ。先に述べたとおり仕事によって利潤や技術や経験といったものが得られる。それがやりがいなのだ。
そこに楽しさや個人的に将来役に立つようなものを求めないようにする。そういう仕事に対する過剰な期待を手放してしまえば、仕事に対する不満というものは少なくなる。
そのために、現在取り組んでいる仕事について、個人的に得られそうなもの、楽しくなるような要素を手帳やノートに一つひとつ書き出し、厳格なジャッジを下して、個人的なやりがいをあらかじめつぶしておくといい。