代表制度が本来の姿を現しつつある

前章では、こうした事態が出来した根源的な背景を検討した。その背景こそ、現在の主要な民主主義諸国における社会の変化、すなわち工業化社会からポスト工業化社会への転換であった。そこでの議論によれば、工業化社会は、代表制度が機能するための条件を用意した。

しかし、1970年代以降、徐々に進んだポスト工業化の中で多くの民主主義国は、代表制度が民主主義の制度として機能する条件を喪失し、その形骸化は誰の目にも明らかとなった。それに伴い、不確実で安全を欠いた世界の中で各国の政府はいま、民主的なコントロールから自由になることを公然と欲し、また確実に自由になりつつあるというわけだ。

しかし、この現状を前にして、驚いたり怯んだりする必要はない。なぜなら、私たちは代表制度が本来の姿を現しつつあるのを目の当たりにしているに過ぎないのだから。その姿とは、政治エリートによる大衆支配だ。民主主義の理念から切り離されてしまえば、代表制度などは少数のエリートによる多数者の支配という寡頭政治を支えるのに相応しいやり方なのだ。このことを思い起こせば、代表制度に対するルソーの酷評を繰り返す必要はないだろう。代表制度はいまや、民主主義の理念を妨げる手段に、エリートが権力を私物化し専制を敷くための手段になり下がったようにさえ見える。

代表制度の改革に対する理論と実践は、こうした現状を打破するために要請される。しかしそれと同時に、代表制度の改革は、民主主義に対するオルタナティブとなった中国モデルの誘惑に対する喫緊かつ実行可能な対抗策になるとも考えられる。人びとが中国モデルに誘惑される原因の一つに現在の民主主義への疑念や失望があり、それらの疑念や失望は代表制度の堕落に由来する。だから、代表制度を改革することは、中国モデルの誘惑に対抗するための最も現実的な取り組みとなる。

そこで、本記事では、現在世界中で実際に行われている民主主義のイノベーションにフォーカスする。そこからポスト工業化社会に適合した形で、代表制度を民主主義の制度として復活させる道筋を検討する。

したがって、以下の議論では、現行の代表制度を全廃するべしというような思い切った提案はしない。それは、代表制度なしの民主主義が非現実的だというよりは、代表制度には参加のコストを削減する上で、あるいは市民の意思決定の正統性を高める上でいまだに存在意義があるからだ。こうして、今後の議論のポイントは、代表者たち──特に、政府として権力を行使する代表者──による政治権力の私物化を許さず、専制の芽を摘むための方法を探し出すこと、そしてそれを代表制度に接続することにある。