※本稿は、藤井達夫『代表制民主主義はなぜ失敗したのか』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
「民主主義=選挙」という誤解
共有のものを私物化してしまう専制政治に対抗する民主主義。その理念は、絶対王政の時代のフランスにおいて復活する。ルソーは『社会契約論』において、古代人には馴染みのない「人民主権」という概念──主権という概念は中世ヨーロッパに誕生する──によって古代の民主主義の理念を蘇らせた。
人民主権とは、政治における最終的な決定権力は人民に属するという考え方である。より素朴にいえば、政治権力の源泉は人民にあるという考え方だ。それは、ルソーが国家という共有のものを人びとの約束によって作り出し、その下で自由を実現する政治のあり方を模索する中で編み出したものであった。
後に代表制度に接続され国民主権へと発展していくものの、この概念は現代の民主主義の根幹となってきた。もちろん、日本国憲法においてもそうである。ここから、権力の私物化を禁じ、専制政治を防ぐことで市民の自由を確保することを目指した民主主義の理念は近代以降も継承され、多くの民主主義国の憲法にいまでも息づいているといえる。
そもそも、民主主義の理念を検討する作業がなぜ必要になったか。それは何より、現在、中国モデルが民主主義のオルタナティブとしての存在感を増しつつあるからだ。さらに、自由を「二の次」とせざるをえない人びとから、能力主義・業績主義に慣れ親しんだエリートたちまで、民主主義諸国に暮らす人びとが少なからずこのオルタナティブに魅力を感じ始めているからでもある。
ところがそれだけではないのだ。現行の民主主義は中国モデルより優れており、それを擁護していかなければならないと考えている人たちの存在も問題になってくる。というのは、民主主義の側に立つ人たちに、近代の民主主義に対する根深い誤解があるからだ。つまり、民主主義を擁護する側が自分たちの民主主義をよく分かっていないのだ。これはかなり困った事態といえよう。
最もよくある誤解が、「民主主義は選挙だ」とするものだ。これがなぜ誤解かといえば、選挙は代表制度に特徴的な手続きだからだ。そして、民主主義と代表制度の間には、本来的な関係はないからだ。代表制度は中世封建社会の身分制議会や教会などで活用されてきたが、そこでの重要な手続きが選挙や多数決であった。このため、近代の民主主義には中世の代表制度に由来する政治上の慣行のいくつかが引き継がれることになった。
「民主主義は選挙だ」という誤解が生まれたのは、近代において民主主義の理念を実現するための手段として導入された代表制度が民主主義そのものだと見なされてきたからである。
しかし、なぜこうした取り違いが起きたのだろうか。これを十分に説明するのは、意外に難しい。確かなこととして一ついえるのは、代表制度が、ある時期は、民主主義の理念を実現する手段としてうまく機能したということだ。つまり、代表制度は、権力の私物化を防ぎ、反専制政治を実現する上で、一時的にせよ非常に効果的に機能したので、多くの人びとは代表制度を民主主義と同一視したというわけだ。