政治権力を脱人格化する

それでは、代表制度は、どのような仕組みで政治権力を人民ないし国民の名において権威づけ、それによって、反専制政治を実現しようとしたのだろうか。

代表制度における政治権力の正統化は、国民が選んだ代表者が議会を構成し、そこでの議論を経た多数決によって法律を制定し、その法律に従って政治を行うという形をとる。教科書にも載っているような馴染みのある話であるものの、これが民主的な代表制度において政治的正統性が産出される本来の手続きであることに間違いない。

ここで注目すべき点は三つある。一つは、議会における多数派が共有のものとしての国民の意思を代表するのであって、それゆえ多数決による決定が国民に共通した意思に基づく決定と見なされている点だ。そのためには、代表者は国民によって直接選ばれ、信任を得る必要がある。これが第二の点になる。

最後に、代表者たちから構成される議会で制定された非人格的な法律に従って政治が行われるという点である。ここに、不偏不党の法律による政治のコントロールという図式を見て取ることができる。すなわち、行政府に対する立法府の優越である。この最大の狙いは、政治権力を脱人格化することで、その私物化や恣意的な行使を未然に防ぐことにあった。

このような代表制度における政治権力の民主的な正統化は、しばしば議会主義と呼ばれてきた。日本国憲法では、第四一条での「国会は、国権の最高機関」という表現の中にそれを見出すこともできる。では、この議会主義は、どのように実現されるのか。この答えが、選挙によってというものだ。ここから、選挙こそ、代表制度と民主主義を繋ぐ制度上の結節点であり、この意味で、選挙は代表制民主主義を理解する上で鍵となる手続きだといえる。

繰り返しになるが、選挙それ自体が民主主義なのではない。民主主義の理念を実現する手段として存在する限りで、選挙は民主主義的であるに過ぎない。まず、歴史的に見て選挙は民主主義とは無関係なところで用いられてきた。例えば、ヨーロッパ世界において、それは古代から中世にかけてのキリスト教の教会の司教の選出において活用されてきた。

もちろん、そうした近代以前の選挙は、現在の私たちが行っているような、投票者一人ひとりの選好を数えるという形をとらない。そうではなくて、信徒共同体の結びつきを確認するために、満場一致の喝采という形をとっていた。また、理論的な観点から見ても、選挙はある種の貴族主義と結びついてきたといえる。