窒息して意識不明の母親の耳元で「高原列車は行く」を歌った

母親の衰えはその後も急激に進み、とうとう要介護4(※)になってしまった。

編集部註※食事、排せつ、入浴といった日常生活全般において全面的な介助が必要である状態。要介護3と比べ、より日常生活動作が低下。

母親は認知機能が低下し、言葉数が少なくなり、笑顔が消えた。

2017年5月には誤嚥性肺炎を発症。蜂窩織炎以来の高熱と酸素飽和度低下となり、狛井さんは入院を要望したが、医師の判断で自宅にて点滴・治療を受け、無事回復した。

そして6月。仕事で年に1回の1泊2日の添乗員業務があり、前日から2泊3日で母親をショートステイに預けた。するとショートステイ2泊目の夜、出張先の宿にいた狛井さんの携帯に連絡が入る。

「夕食後にお母さまが窒息して意識不明です……」

狛井さんが4時間かけて病院に駆けつけると、母親は集中治療室で口の中に管を入れられて横たわっていた。狛井さんは、「もう無理だ」と分かりながらも、母親とよく一緒に歌った「高原列車は行く」を耳元で歌った。

カテーテルがつけられた、高齢女性の手
写真=iStock.com/CaroleGomez
※写真はイメージです

そして翌日。一度も意識が戻らないまま、血圧が下がり始めたのを認めた狛井さんは、涙を流しながら「お母さん、今までほんまによう頑張ったなあ。お母さんの息子で幸せやった。ありがとう、ありがとう」と何度も繰り返した。

母親はその日の夕方、息を引き取る。6月12日。狛井さんの54歳の誕生日に、7年半の介護生活が終わった。

母が窒息になった理由は、またも介護スタッフの「ミス」だった

なぜ、母親は窒息状態になったのか。

ショートステイ先の施設では、その日の利用者は9人、職員は2人。母親ともう1人が食事介助を受け、他の7人は、食事介助は不要だった。

「母の最後の食事は、職員の介助により、15分で完食したそうです。母の食事が終わった後に、他の利用者が『おしっこ!』と言ったため、トイレ誘導のため職員が母から離れ、母は1人きりになりました。その間に一度、もう1人の職員が遠目に母を見ましたが、変わった様子はなかったようですが、15分ほどして職員が戻ってくると、車いすの後ろに頭を垂れた状態の母を発見し、慌てて近づくと、母の唇は紫色になり、口から舌を出していたそうです」

今回も職員の見守りが不十分だった可能性があったのだ。

母親にはすでにチアノーゼが出ており、職員の声かけにも反応はなく、職員はAEDを試した。その後、救急車を手配し、狛井さんの携帯に連絡をしたようだ。

ショートステイ先の施設の所長は、狛井さん宅を訪れ、母親の遺骨の前で土下座して謝罪した。しかし狛井さんの気持ちは晴れない。なぜなら狛井さんは、「当日食事介助をさせた職員との面談」を希望しているにもかかわらず、それがかなえられなかったからだ。

狛井さんは要望を伝え続けたが、半年もたつと連絡も来なくなり、1年後には弁護士を立ててきた。

「もしもその職員との面談がかなうなら、母との最後の食事の状況を聞きたいです。当時の母に食事を15分で終わらせるなんて、ハイスピード過ぎます。どんな人に食事をさせてもらったか、名前だけでも知りたいです。自分が食事をさせた高齢者が窒息して亡くなり、その後どんな思いでいるのか知りたいです。もうすでに、忘れているかもしれませんが……」