中年独身男性が7年半も両親の介護を続けられた理由
狛井さんの父親は、社交的な人だった。きょうだい仲もよく、甥や姪からも慕われ、近所の人とも親しくしていた。一方、母親は内向的で大おとなしく、全く違うタイプ。
「両親に共通していたのは、人のことを悪く言わない。誰に対しても平等。そして、ずっと独り身の息子に対して、一度も『結婚しろ』と言わなかったこと。特別夫婦仲がよいと感じたことはありませんでしたが、母の葬儀で母の従妹から『2人はいい夫婦だったよ』と言われました」
狛井さんと母親は、介護が始まる前から毎週末、車でドライブや買い物に出かけていた。
「私にとって母は生きがいでした。母は親でありながら娘みたいにかわいらしく、一番の親友でした。身体が不自由になっても、愚痴や弱音を吐かずにリハビリを頑張る、穏やかでひたむきな、変わらない母の姿に癒やされていました」
思えば、そんな母を変えたのは、最初の介護事故だった。
「母に2度もつらい思いをさせてしまったことは、後悔してもしきれません。全部私のせいです。大切な仕事とはいえ、母を知らない人に預けてしまい、食堂で一人窒息死していた母のことを考えると、これ以上苦しいことはありません」
2匹の猫を飼い、雄には父親、雌には母親の名前を
狛井さんは、母親がいなくなってしまった現実が受け入れ難く、母親の遺骨の前で何度もわびた。それでも毎日仕事に行き、必死になって働いた。
「職場で家族がいないのは私だけでした。毎日1人残って働いている自分が、情けないやら悔しいやらで、夜の職場で泣いたこともありました。当時の私は、ただ忙しくすることで、苦しみから逃れようとしていたのだと思います」
そんな頃、同じように介護していた親を亡くして苦悩している人たちとSNSでつながり、やりとりしていくうちに心が救われていった。
「今思うと、介護を通して感じられた喜びは、自分を大事にしてくれていることを感じられた時かもしれません。両親のW介護状態の時、要介護4となった認知症の父に、ぽろっとこぼしたことがありました。『お母さんだけでなく、お父さんまで車いすになるとは思わんかったなあ。僕はもう仕事を辞めて、2人の世話に専念させてもらおうかな?』すると父は笑いながら、『お前、そんなにはように仕事辞めてどないするんや?』と答えてくれました。認知症でありながらも、息子のことを思った、親らしいありがたい一言でした」
狛井さんは現在、両親と3人で暮らすために購入したマンションで、一人暮らしをしている。
「恐らく介護する側の人手不足は、これからもっと深刻化すると思います。若い人が希望の持てない仕事や職場は、人が育ちません。介護の仕事は、『仕事がないから取りあえず』でできる仕事ではありません。介護業界を変えないといけないでしょうね……。特にやりたいことはありませんが、今は漠然と、介護していた親との死別を経験して、親を喪った苦しみからはいあがれない人をサポートするような活動ができたなら、両親への供養になるかもしれない……と思っています」
狛井さんは最近、2匹の猫を飼い始め、雄には父親、雌には母親の名前を付けた。