同僚とのグループチャットの内容すら検閲されている
習近平時代のネット検閲の特徴をあげるならば、大きな騒ぎになる前に、まだ予兆の段階からトラブルの芽を摘み取ろうとする点にあるだろう。
胡錦濤時代においては抗議集会を開く、デモを呼びかけるといった直接行動は取り締まられたものの、政府に苦言を呈する、あるいは現状に疑義を申し立てるようなメッセージがあっても問題視されることは多くなかったのだ。
習近平時代の変化、それを象徴するのが、同僚とのグループチャットにSARSの感染者報告をしただけで行政処分を受けた李医師の事件だろう。予防的なネット検閲、言論統制が実施されるようになったわけだ。
ここまで習近平体制下で起きた中国のネット検閲体制の強化について語ってきた。おそらく読者の方には一つの疑問が浮かんでいるのではないか。すなわち、「ここまで言論を監視される社会は息苦しくないのか? 中国人は反発しないのか?」という疑問だ。
ちょっと気になる情報を同僚とシェアしただけで処分される……李医師のような事態に遭遇すれば、誰もが「こんなことまで見張られているのか」と検閲の恐ろしさを感じるだろう。だが、こうした経験をする人はごくごく一部に過ぎない。一般の人が普通に生活し、普通にインターネットを使っているだけでは問題となることはほとんどない。
それどころか、中国共産党が検閲を強化しているという事実にすら気づくことはない。そう、検閲はますます巧妙になっている。
検閲があったかどうかすら分からなくなっている
かつてはインターネット上の記事が検閲によって消去されると、「この記事は見つかりません」という記述が残されるなど、検閲によって削除されたという痕跡が残った。記事そのものを読むことはできなくても、検閲があるという事実、そして中国共産党が何を問題視しているかを感じとることができた。ところが今では記事がなくなったという痕跡すらわかりづらくなっている。
以前、私は中国に住む友人にウイグル問題に関する記事をメッセージアプリで送ったところ、いつまでたっても返事が来ない。興味がなかったので無視されたのかとも思ったが、念のために記事が届いたか問い合わせてみると、「何も届いていない」との返答だった。
「この記事は違法な内容を含むため送れない」「問題がある記事のため削除した」といったメッセージが出れば検閲の存在は誰の目にも明らかだが、こうしたわかりづらい手法を使われれば、果たして検閲があったのかどうかすら、わからなくなってしまう。
ネット掲示板やウェブメディアの記事のコメント欄もそうだ。中国共産党を支持するメッセージばかりが並んでいるので、ともすると中国人はみな熱烈な愛国者なのかと受け止めてしまいがちだが、体制批判のメッセージはひっそりと隠されて目につかなくなっているだけだ。
面白いのはメッセージを書き込んだ当人にすら検閲されたことが通知されない点だ。反応がないので誰も自分のメッセージに興味を持たなかったのかと誤解し、次第に体制批判のメッセージを書き込むことすらやめていく。こうした目に見えない思想統制が広がっている。