「耐えられないもの」について擦り合わせおくことの重要性

【1】の「『耐えられないもの・嫌いなもの』のレベルが同じ」は、挙げたなかでも最重要ポイントだと考えている。私はとにかく部屋が汚い。恐らく何らかの気質的な理由、精神的な理由が絡んでいると思うのだが、どうしても「片づけられない」のだ。そして、まったく片づいていない乱雑な部屋を見ても、あまり気にならない。

昔の嫁姑問題を描いたドラマや漫画などを見ると、和服姿の姑が障子のへりのあたりを指でなぞり、こんもりと付いた指先のホコリをフッと吹いて飛ばす、といったシーンが登場したりする。この描写は、嫁の掃除が雑であることを示しており、嫁は障子のへりぐらい多少ホコリがたまっていても気にしないタイプであることがわかる。

ほこりを指でなぞって見せる女性
写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz
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そして姑は「息子にふさわしい伴侶なのか、わが山田家という名家にふさわしい嫁なのか、私が厳しく見極めなくては!」などと気負い込んで“嫁いびり”を加速させ、何かにつけて揚げ足を取るようになる……というのも、これまたよくある展開である。

その後、妻は夫に「お義母さんの指摘が細か過ぎてもう耐えられない。この家から出て、あなたと2人だけで暮らしたい」と泣きつくものの、夫は「おふくろだってキミのこと考えて言っているんだよ。頼むから我慢してくれ。わが家では障子のへりにホコリが積もっていない状態が当たり前なんだ。なっなっ、ウチに嫁いだ以上、そのくらいのことは受け入れて、おふくろとうまくやってくれよ」なんてことを言う。

夫は一見優しい理解者のように見えながら、結局、母親の肩を持ってばかり。かくして妻は「私のことを理解しないこんな夫、捨ててやる!」と離婚に向かって突っ走っていく……。

嫁姑問題のような衝突は、夫婦間でも起こり得る

一体なんの話をしているかわからないかもしれないが、似たような状況は「嫁・姑」だけでなく「夫・妻」でも発生すると言いたかったのだ。「昭和の茶番劇」「時代遅れのモラハラ姑」と一笑に付すのは簡単だが、嫁姑問題のようなドロドロとした価値観の衝突は、現代においてもアングルを変えて残り続けている。

たとえば、きれい好きの夫が仕事から疲れて帰ってきたとき、専業主婦の妻が家のなかを乱雑な状態で放置していたとする。夫もしばらくは我慢していたが、ついに限界がきて、こんなことを口にしてしまう。

「オレが毎日、仕事で疲れ切って帰宅しているというのに、お前は最低限の掃除さえしてない。オレは汚い部屋が耐えられないんだよ。家ってのは、もっとも安心してくつろげる場所であるべきだろ。なのに何だよ、この散らかりっぷりは! こんな部屋、いるだけで気がめいるし、まったく落ち着かない。日中、時間あっただろ? せめてダイニングくらいはきれいにしておいてほしかったよ」