ずいぶんやつれた表情で「おカネがないのよ」

こんなことがあった。細木の弟に細木久慶というのがいた。何をしているのかはよく知らなかったが、この男が政治に出たいと考えていた。

細木から頼まれたと記憶しているが、弟を衆院選に出馬させたい、ついては新自由クラブで公認してくれないだろうかというものだった。

当時、金権政治を批判して自民党を飛び出した河野洋平や山口敏夫たちがつくった新自由クラブが注目されていた。

私は河野代表や山口幹事長と親しかったから、口をきいてくれないかというのだ。

私は山口幹事長に話をもっていった。私からの頼みということで党内で検討してくれたが、公認は難しいので推薦になったと思う。

細木久慶は1976年の衆院選に東京4区から立候補したがあえなく落選した。

その後、どれぐらいたってからだったか。細木から呼び出されて昼間、赤坂の指定された場所に行ったことがあった。

以前のクラブではなく、やたらだだっ広い喫茶店のような店だったように記憶している。

華やかなクラブでの細木しか知らないので、ずいぶんやつれて疲れているように見えた。

別にこれという相談があるわけではなかった。彼女はひとり語りのように、「おカネがないのよ」と繰り返していた。

ど派手なクラブのママが、店を閉めて、やたら広いだけの空間で、カネがなくて暇を持て余しているようだった。

もちろん私にカネの目当てもなければ、出資してくれるような人間も知らないので、頑張るようにいってそこを辞した。

彼女の人生の中で、一番落ち込んでいた時期ではなかったか。

大借金を抱えた島倉千代子の“恩人”として再会

次に会うのは、歌手の島倉千代子が付き合っていた眼科医のひどい仕打ちに耐えかねて裸足で逃げ出し、細木に拾われたと騒がれた時だった。

細木には私のほうから連絡したと思う。

細木の家に行くと、彼女の横にやくざ風の男がいた。なかなかのやさ男で、その時は、細木より年下ではないかと思った。

堀尾昌志という暴力団「二率会」の幹部で、名刺をもらったと記憶している。細木がいうには、「真夜中の乃木坂あたりを車で通りかかったとき、トボトボと歩いているお千代を偶然見つけて助けたのよ」、まったくの善意で島倉を救ってやりたい、島倉の抱えている莫大な借金問題を何とか解決してあげたいと考えていると、まくし立てた。

その後、島倉千代子にもインタビューした。

一緒に暮らしていた眼科医の彼女への非道、彼が事業につぎ込んだ借金の裏書をさせられたため莫大な借金を抱えていること、細木と堀尾への感謝を述べた。

そのインタビューは週刊現代に載った。