死ぬまで性への執着を持ち続けていた
細木数子が亡くなった。享年83だった。
彼女が亡くなった翌日のスポーツ紙は、各紙大きな扱いで、「『地獄に堕ちるよ』『大殺界』『ダメ出し』ズバリ発言連発『視聴率女王』」(日刊スポーツ11月11日付)「大物にも臆せず『ズバリ』『六星占星術』で“ご意見番”占い師」(スポーツニッポン同)と、テレビをも席巻し、数々の足跡を残した“女傑”だったとしている。
実は、私は、細木とは多少因縁がある。
往事茫々、記憶は定かではないが、細木と最初に出会ったのは、彼女が経営していた渋谷か赤坂(銀座ではなかった)のクラブだったと思う。
私が30代の初めだから、1970年代の前半だっただろうか。私は週刊現代編集部にいたが、知り合いの黒幕を自称している男に連れられて行った。
派手な電飾がキラキラしている店内は、音楽もうるさくて、隣の女の子との会話も途切れがちだった。
そこで連れが紹介してくれたのがママの細木数子だった。
彼女は私より7歳年上だから当時40歳を超えていた。華やかといえば聞こえがいいが、ケバいキャバレーのオバちゃんというのが第一印象だった。
名刺を渡して、うるさい店は嫌いなのですぐに出たと思う。
その後、彼女から電話が何度かかかってきたのだろう。一、二度顔を出したと思うが、私の好みの店ではないので、足が遠のいた。