死ぬまで性への執着を持ち続けていた

細木数子が亡くなった。享年83だった。

タレント・占術家の細木数子氏が大相撲モンゴル巡業のエンフバヤル大統領主催歓迎晩さん会に出席(=2008年8月26日、モンゴル・ウランバートル)
タレント・占術家の細木数子氏が大相撲モンゴル巡業のエンフバヤル大統領主催歓迎晩さん会に出席(=2008年8月26日、モンゴル・ウランバートル)写真=時事通信フォト

彼女が亡くなった翌日のスポーツ紙は、各紙大きな扱いで、「『地獄に堕ちるよ』『大殺界』『ダメ出し』ズバリ発言連発『視聴率女王』」(日刊スポーツ11月11日付)「大物にも臆せず『ズバリ』『六星占星術』で“ご意見番”占い師」(スポーツニッポン同)と、テレビをも席巻し、数々の足跡を残した“女傑”だったとしている。

実は、私は、細木とは多少因縁がある。

往事茫々、記憶は定かではないが、細木と最初に出会ったのは、彼女が経営していた渋谷か赤坂(銀座ではなかった)のクラブだったと思う。

私が30代の初めだから、1970年代の前半だっただろうか。私は週刊現代編集部にいたが、知り合いの黒幕を自称している男に連れられて行った。

派手な電飾がキラキラしている店内は、音楽もうるさくて、隣の女の子との会話も途切れがちだった。

そこで連れが紹介してくれたのがママの細木数子だった。

彼女は私より7歳年上だから当時40歳を超えていた。華やかといえば聞こえがいいが、ケバいキャバレーのオバちゃんというのが第一印象だった。

名刺を渡して、うるさい店は嫌いなのですぐに出たと思う。

その後、彼女から電話が何度かかかってきたのだろう。一、二度顔を出したと思うが、私の好みの店ではないので、足が遠のいた。