西宮の号泣議員以来の「恥ずべき珍事」
東京都議選の期間中に無免許運転で人身事故を起こし、揚げ句の果てに議会をボイコットし続けてきた木下富美子都議が11月9日になって久々に都議会に現れた。日本中のお茶の間に話題を振りまき、報道も過熱する一方だが、地方議会にとっては「西宮の号泣議員」以来の恥ずべき珍事が続行中だ。
「なぜ、こんな人が議員を続けられるの?」
「どうして辞めさせられないのかしら?」
「この国の制度はどうなってるの?」
巷からそういった声が後を絶たないが、それもそのはず、今回の事件は、そもそも地方議会の常識やルールでは「通常起こりえないこと」が続々と起きているのだ。
この事件は、何重にもガードされた制度や慣習を木下都議がするするとくぐり抜けてしまったことに起因する。こうしたことが起きないように何重にも張り巡られていたはずの「関門」は、なぜいとも簡単に突破されてしまったのか。
関門①:選挙結果が優先
公人は、禁固刑以上の刑罰に課せられるか公民権が停止されない限り、問題があったとしても選挙で選ばれた限りは選挙結果を優先するという考え方がある。
それだけ憲法で保障された選挙権・被選挙権という権利は崇高なものであり、その点、いかなる問題を起こそうとも当選した事実を覆すことは原則的にできない、というのが基本的な選挙の原則である。今、木下都議はこの選挙結果というシールドに守られている。
ただこれは、問題を起こした候補者でもその後の選挙で当選することで禊を受けたと解されるわけで、「選挙中に問題行動を起こし、それを知らずに投票する」というようなことはそもそも想定されていない。
もし、木下都議が選挙前に無免許事故を起こし、有権者がそれを知ったうえで投票し当選したとすれば今回のような問題にはなっていない。そういう意味で、今回のケースはあまりにもタイミングが悪すぎた。