タコよりも恐ろしい「イセエビと消しゴムを混ぜた味」のイカ
コン・ティキ号がその雄大な旅に出る前に、専門家たちがもっとも警戒するように、と言っていたのはタコだった。ワシントンのアメリカ地理学会はヘイエルダールにフンボルト海流のある海域からの報告と劇的な写真を見せていた。そのあたりに棲息する巨大なタコは大きなサメを絞め殺し、クジラに醜い印をつけている。非常に貪欲でもし一匹のタコが一切れの肉に食いついて釣り針にぶらさがっているともう一匹のタコがやってきて釣り針にかかった仲間を食いはじめる、というほどだった。
そして何よりも警戒すべきはそういうやからが筏の上に難なくあがって来られる、ということだった。そこでコン・ティキ号がフンボルト海流の危険エリアに入ってくると乗組員らは夜、寝ているうちに触手のあいだにあるワシの嘴のような鍵爪に絡まれるのを警戒してそれぞれ寝袋の中に南米原住民の大刀をひそませるようになった。
けれどコン・ティキ号の乗組員の頭を悩ませたのはタコではなくイカだった。筏の屋根の上に小さな子供のイカを発見した。イカがそんなところまで登れるとは思えなかったので大波がそこまで連れてきた、という推論が出たがその日の夜の不寝番はそんな巨大な波はまったくおきなかった、と証言した。海鳥がそこまで連れてきた、という説もイカの体にまったく傷がなかったことで可能性は消えた。夜明けのイカの姿はトビウオにまじってだんだん増えてきて、やがてイカもトビウオのように飛んでくる、という説に落ちついた。しかしイカにそんな飛ぶ力があるのか、という疑問が残った。イカが体の中に吸い込んだ海水を吐き出す力で推進している、ということはわかっていたが翼もないのにトビウオのようにそんなに遠くまで飛べるのかどうか、は不明のままだった。
後日判明したのは、イカは50メートルから60メートルも飛べる、ということだった。羽根をひろげて風に乗って飛ぶトビウオよりもロケットと同じ原理で海水を噴射して飛び上がるイカのほうが長く遠くまで飛べる生き物らしい。
コン・ティキ号の人々はその海域にいるあいだ朝方甲板からイカをひろってよく食べたようだ。それはイセエビと消しゴムをまぜたような味だった。コン・ティキ号のなかでは一番下等な献立だったようだ。
6月10日。赤道海流に乗って南海の島々にもっとも近いエリアに入ってきた。南緯6度19分。マルケサス群島の一番北の端も通りすぎた海域を筏は順調に流れていた。
沢山のサメが常に筏のまわりを回っていた。そこで全員でサメ狩りをすることになった。この描写が凄まじい。2メートルから3メートルぐらいのサメのいわゆる入れ食い状態になり、甲板はまだ生きているのか死んでいるのかわからないサメだらけになった。うかうかしているとサメの血で滑って海に転落してしまう危険まで出てきた。それら殺したサメの血でさらに近隣中のサメを呼んでいる、ということに気がつき、甲板上のサメを全部海に捨て血だらけになった甲板の上敷きも捨て清掃し、あたらしい竹むしろを敷いて一息ついた。