現状の年金制度のまま国が責任を持ってやろうとすると、すでにある860兆円もの公的債務に700兆円以上の負債が上乗せされるわけで、国家破綻一直線となる。政府は(かつてアメリカのレーガン大統領がやったように)国民に頭を下げて、国の責任でやるのは基礎年金の部分だけにしてもらう。2階部分はおのおの自己責任でやってもらって、最低限の生活保護に関しては国が保障する。こうした年金改革は、中央集権制度の解体と地方自治の国家ビジョンから語られるべきだろう。

同じことが「教育改革」にもいえる。日本人をシェイプアップして、世界で活躍する人材を輩出するという意味では、教育制度の改革は大きな課題だ。

一昨年の国民投票法案の審議では、投票年齢を18歳以上にすべしという民主党の主張が通って法案が成立した。これをきっかけに、選挙年齢や成人年齢を18歳に引き下げることが検討されるようになった。

成人年齢を18歳に引き下げ、高校卒業までを義務教育とするのが私のかねてからの主張だ。義務教育の役割は社会に適応する人間をつくることとして、大学などの高等教育との役割をはっきり分ける。その大学もアカデミックな教育ではなく、世界で通用する、世界で飯が食える力を身に付ける職業訓練の場とするのだ。

きちんとした社会人を世に送り出すのは国の責任ということで、バラマキの子ども手当より、高校を義務教育にして無償化したほうがよほど世の中のためになる。ただし、教育の内容は道州ごとに任せる。北海道と九州では必要とされる人材も違ってくるし、必要な外国語も異なる。たとえば、山陰地方で韓国語を勉強するようになれば、島根県議会で見られたような偏狭なナショナリズム発言などもなくなることだろう。

18歳成人をテコにこうした発想で改革していければ、日本の教育制度はドラマティックに変わる。そこまでやれば、民主党政権がどういう国を目指すのか、誰の目にも見えてくる。民主党は“違いのわかる”政党になるのだ。

(小川 剛=構成  AP Images=写真)