なぜ、日本だけ英語力が落ちたのか

このようにBRICsと呼ばれる国々は、すでにボーダーレス経済に対応できるように大きく生まれ変わっている。世界の標準語が英語だとすれば、単に英語を話すだけではなく、英語を使ってビジネスをやりきる力を、インド、中国、ブラジル、ロシア、そして韓国も、かなりのレベルで身に付けている。逆に、この10年で英語力が落ちたのは日本ぐらいのものだ。

BRICsを追う新興国の成長も、目覚ましい。

たとえば、ユドヨノ政権下のインドネシアでは、スリ・ムルヤニという女性の財務大臣が辣腕を振るって税制を改革、単年度で税収を5割増加させた。人口2億4000万人を擁するインドネシア経済は完全にテイクオフしたと私は見ている。インドネシアで活躍する日本や欧米の企業は最近年率50%近い伸びを示している。BRICsではなく、インドネシアも加えてBRIICsというべきだ、と昨年の5月に私はジャカルタでの講演で提唱したが、今では唱和してくれる人も多くなった。

つまり、この10年で明らかに世界は変わったのだ。ITをはじめ技術も大きく動いた。しかし日本の場合、1980年代後半のバブル期をピークとすると、その後の20年は完全に内向き指向になり、世界に対して目を閉ざしてしまった。外交の枠組みも旧来の冷戦時代のまま。いまだアメリカには絶対服従だし、北朝鮮は拉致問題、韓国なら竹島問題、ロシアは北方領土問題が解決するまでは存在せず、という感覚だ。

ドイツとロシアも国境問題を抱えているが、すべて棚上げにして大国同士の良好な関係を築いている。北方領土は日本固有の領土だと衆議院で決議してロシアの反発を買っているようでは、日ロの新時代など訪れようもない。

世界や時代が大きく変わったというのに、日本は変わるための努力をしてこなかったし、変わらなければいけないという危機感をほとんど誰も唱えてこなかった。

改革とは名ばかりで、小泉改革は(民営化という)看板のかけ替えだったし、省庁再編の橋本行革は単なる官庁の引っ越しに終わった。日本の政財官は何も変わっていない。一部の例外的な企業のみ世界を相手に努力しているだけで、企業も自治体も食い詰めたら霞が関に陳情して補助金で助けてもらう馴れ合いの構図に変化はないのだ。

それどころか、この甘えの構造は、今後さらに国全体に蔓延するかもしれない。大雨で田んぼが水浸しになれば農家は収入補償してもらえるし、子ども手当ももらえる。要はギブアップしたもの勝ち。努力している人に冷たく、努力していない人に優しいというメンタリティは、どちらかといえば自民党より民主党のほうが強い。中小企業も借金のモラトリアム、などとふざけた救済措置を口にする鳩山新政権で日本はどこまで変われるだろうか。