政府自民党と中央省庁は経済敗戦を国民生活に平然と押し付け、バブル崩壊後は景気回復の手段として国民を使った。将来の昇給を見越して金利が上がる「ゆとりローン」を創設して住宅を買わせ、金融機関を救済するためにゼロ金利政策を続けて、本来なら国民が得るべき富を収奪してきたのだ。まさに本土防衛の竹槍戦略である。

それだけではない。90年代以降、この国では国家と国民の間で、一度として“生産的な対話”などなされてこなかった。政府は巨額な債務を抱える危険性を正直に国民に訴えて協力を仰ぎ、債務を解消する努力をすべきだったのに、「景気は悪くない」「不況は脱した」と大本営発表を繰り返して、“戦況”を悪化させてきたのだ。今回の政権交代は、そうしたことに対する国民の無意識のうちにある危機感の表れと見ることもできるだろう。

鳩山新政権は新しいレジームをつくらなければならない。何を優先するのかといえば、「産業」ではなく「国民生活」である。民主党的な言葉を使えば、道州と基礎自治体を拡充して、生活者の安全安心を守るコミュニティ自治を確立するということだ。

重要なのは、経済的自立のない自治などありえないということ。地方分権というのは中央の権利を分け与えるという意味だから、これはホンモノではない。民主党も「自治」という言葉を使い始めたが、自治というからには経済的自立が前提になる。

基礎自治体というのは人口30万人程度の規模だから産業は興らない。そこで道州ベースの経済単位をつくり、経済運営を自立させるための権限、つまり徴税権と立法権を国から道州に渡す。ここまでやらなければ本当の自治は実現しない。

これは民主党の一部が言っているように、国が出先機関を全部地方に譲るというレベルの話ではない。1600年の関ヶ原の戦いで徳川方が勝利して以来、400年以上も連綿と続いてきた「中央集権制度」、東京に交付金をもらいにいく「参勤交代制度」に対するゼロベースの大改革となるのだ。

しかも徴税権や立法権を地方に渡し、産業政策や教育政策などを自らの裁量で行うというのは、日本全国均等ではなくなることを意味する。つまり日本人は、70年代の田中角栄的な「均衡ある国土の発展」という幻想からそろそろ覚醒しなければならない。