東京オリンピックで表彰台に立つ日本人選手はオレンジ色のジャケットを着ている。これはアシックスが作製した「ポディウム(表彰台)ジャケット」だ。価格は約5万円。なぜそんなに高いのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。

※本稿は、野地秩嘉『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

200221東京2020日本代表ウェア
提供=JOC/JPC/ASICS
東京2020日本代表ウェア

夢は前回東京大会から始まった

アシックスの常務、松下直樹は今大会の商品開発責任者だ。生まれたのは1959年。5歳の時に前回の東京大会が開かれた。小学校に上がる前だったが、それでも鮮明に覚えている。

それは三宅義信選手が男子フェザー級重量挙げで優勝し、金メダルを取った瞬間のことだ。

日本チームにとっての金メダル第1号だったから、優勝シーンは繰り返し放送された。三宅選手は東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボールチーム、マラソンの円谷幸吉選手と並んで、あの大会のヒーローだ。

興奮した松下少年はクレヨンで三宅選手が表彰台(ポディウム:podium)に上がった絵を描いた。母親は絵を誉めた後、古びた箪笥の横に貼り付けた。松下家では長い間、重量挙げを描いたクレヨン画がお茶の間のギャラリーを彩ったのである。

少年はもうひとつのシーンも忘れられなかった。

それは閉会式。各国選手は整列せずに国立競技場にひと塊になって入場してきた。他の国の選手と腕を組んだり、肩を並べたり、お互いに記念撮影をしたり……。開会式とはまったく違う種類の楽しそうな交歓シーンだ。堅苦しさを感じない式典で、選手たちは言葉ではなく、態度でスポーツの世界には国境がないことをリアルに表現した。

閉会式は終幕に近づく。国立競技場の電光掲示板には「SAYONARA(さよなら)」と「WE MEET AGAIN IN MEXICO(次はメキシコで)」と表示が出た。少年は文字を見ながら胸がいっぱいになり、涙が流れて仕方なかった。

スポーツを一生の仕事にしたい

十数年後、同志社大学に入った少年は陸上競技部に所属し、ハードル選手として活躍する。オリンピックにこそ出場しなかったけれど、競技に明け暮れた学生時代だった。大学を卒業した後はスポーツを一生の仕事にすることにし、アシックスに入社する。

現在は同社常務執行役員として、日本代表選手団のポディウムジャケット、シューズ、バッグなど17種類の製品を作製する責任者である。

松下は言った。

「日本代表選手団のオフィシャルスポーツウエア、オリンピックもパラリンピックも担当します。ポディウムジャケットというのは表彰台に上がる時のウエアのこと。シューズもやります。日本代表選手が表彰台に上がる時に履きますし、選手村でも使用します。この他、Tシャツ、帽子、バッグも作りましたし、応援グッズやボランティアのユニフォームも当社製です」

アシックスが作製するのは日本代表選手団の選手、監督・コーチなどが使うウエア、シューズ、グッズである。選手が競技に出場する時のユニフォームはそれぞれの競技団体のオフィシャルサプライヤーが担当する。また、サッカー選手のシューズなどは個々の選手がそれぞれスポンサーと契約している場合がある。