「人間の動きを解放する」ウエアづくりを重ねてきた

松下は思い出す。

「僕が中学生になった頃(1974年)、体育の時間には、みんな布帛の白いトレパンを穿いていました。普通のズボンと同じつくりでしたから四股を踏んだり、スクワットしたりすると股のところが破れてしまうんですよ」

「白いトレパン」は布帛生地を縫い合わせたものだった。現在、病院の看護師が穿いているような白いパンツを思い浮かべればいい。手足を大きく動かすには窮屈な衣料で、膝を屈伸したり、大きく足を上げたりするには向かない。白いトレパンの上に着るのは丸首の綿シャツだった。肌着と同じ編地だから伸縮性がある。あの頃の中学生、高校生は夏になると丸首シャツとトレパン、冬になったら、丸首シャツにセーターを着たりしていた。

そんな時代にデビューしたジャージは機能性において優れていた。上下ともに編地だから伸縮性がある。四股を踏もうが、スクワットをやろうが、股が裂けたりしなかった。上は前開きのファスナー付きで、下は脚の膝下部分の側面にファスナーが付いていた。ジャージは「人間の動きを解放する革命的スポーツウエア」(松下)だったのである。

ジャージはたちまち日本中の学校体育で使われるようになり、修学旅行の時はパジャマ代わりにもなった。大学の運動部、社会人も使うようになり、一般の人々もトレーニングウエアと言えばジャージと認めるようになった。

ジャージは革命的ですよとつぶやきながら、話を進めていた松下はぽつりと言った。

「東京大会で、もっとも苦労したのはポディウムジャケットですね。当社の機能性追求の歴史とノウハウをすべて投入しました」

朝日をイメージしたジャポニズムデザイン

ポディウムジャケットとは選手が表彰台に上る時に羽織るトラックスーツのことで、ジャージの延長線上にあるウエアだ。柔道の選手も、陸上、水泳、球技、室内競技の選手たちも、メダル授与のセレモニーではポディウムジャケットを着る。スポーツウエアでありながら競技そのものに使用するものではなく、羽織るものだ。

アシックスは2017年の初めから同ジャケットを含むウエア、シューズ、バッグなどの開発に入った。

同社の神戸本社8階にはディシジョンルームという役員用のミーティングルームがある。その部屋で開発を決定し、日本代表選手団を派遣するJOC/JPCと確認の上、方向性を決めた。その後は企画立案からレプリカ製品の販売企画まで50人のチームで行っている。2000人弱の従業員のうち、50人の代表がスタートからダッシュしたわけだ。