開会式、式典、選手村、本番…着る服は実に豊富

そうして考えると、東京大会に出場する日本選手のワードローブは実に豊富だ。

まず選手村のクローゼットに吊るすのは開会式用と式典用の服だ。そして、選手村内で着るアシックス提供のTシャツ、ポディウムジャケット、パンツとシューズ、バッグなどがある。各競技団体が配る練習用と本番用のウエアとシューズとバッグもある……。

かつての東京大会でマラソンに優勝したアベベ・ビキラは選手村でも本番でも同じウエアにトラックスーツを羽織るだけだったが、そうした時代はすでに過去となったのである。

現在のオリンピック・パラリンピックではウエア、シューズ、グッズが次々と開発され、種類も増えている。新しい技術に裏打ちされたスポーツウエアは大きな大会が開かれるたびに注目度が上がる。各スポーツメーカーは大会に向けて新製品を出す。ワールドカップ、各種世界大会は新製品の見本市となっているのだが、最大規模のそれがオリンピック・パラリンピックなのである。

国立競技場
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「ジャージ」を作ったのはオリンピアンだった

松下は「ご存じでしたか?」と尋ねてきた。

「ジャージを日本で初めて作ったのはうちの子会社のニシ・スポーツで、社長の西貞一(故人)さんがその人です。西さんは同志社大学陸上競技部出身で、オリンピック選手でした。僕は後輩なんです」

ニシ・スポーツに確認すると、「1954年に、日本初、前開き式ファスナー付きのトレーニング・ジャケット及び脚側部にファスナーを付けたパンツを発表」という記録が残っていた。また、アシックスの前身、オニツカタイガーには「タイガーパウ(ジャージの上下を)1974年に販売」という記録もあった。

編地でできたスポーツウエアを指す「ジャージ」は和製英語だ。語源はニット生地の平編みであるジャージースティッチ(jersey stitch)のこと。イギリス海峡にあるジャージー島の漁師が着ていた厚手の編地で、漁師がスポーツをするためのウエアではなく、寒さを防ぐための厚手のセーターだ。それをニシ・スポーツは細い糸を使ったジャージー編みの運動着に仕立てたのである。

当初はトレーニングウエアという名称だったのが、いつの間にかジャージと呼びならわされるようになった。なお、海外ではむろんジャージとは言わない。トラックスーツと呼ばれている。

ジャージは開発されて短期間のうちに普及したわけではなく、中学校、高校、大学の運動着になったのは1970年代に入ってからだ。