修業的な努力が定着したのはなぜか

【楠木】そうですね。「努力」という言葉を使っちゃうと第二レイヤーの努力と混同されてしまいそうなので、仮にそれを「錬成」、錬り上げていくという言葉を使って区別しておきますが、錬成の非常に古典的な方法というのは、さきほども少し触れましたが、修行ですね。

つべこべ言わずに10年、まずこれをやれと。修行というのはたぶん事後性を克服するために人間社会が編み出した方法論だと思います。そこにはロールモデルとしての親方がいて、日本料理の世界でも「なんとかの上にも3年」というのがあるじゃないですか。あれも最近は評判が悪いですよね。

確かに、それはそれで無駄な面もいっぱいあるんだけれども、やっぱりやむにやまれず定着した方法でしょう。センスの錬成において、事後性の克服方法としてやっぱりわりと強力なんですね。

ただ本来的な意味での修行ということになると強制力が働かないとなかなかできない。究極になると禅寺みたいなことになっていく。

【山口】禅で言うところの「只管打坐しかんたざ」ですね。つべこべ言わず、ただひたすら壁に向かって座っていろ、みたいな。

【楠木】そういう修行となるとちょっと一般性がないんですが、全員で生活を共にするというのは大いに理由があることだと思うんですね。センスというものの本来の性質に戻ると、きわめて総体であり、全体であり、綜合的なものなんですよね。

センスを鍛えるためのいちばん手っ取り早い方法

ということは、裏を返すとセンスというのはその人の一挙手一投足すべてに表れていると思うんですよ。プレゼンテーションのスキルを学ぶとなれば、観察する対象がプレゼンテーションをしてくれていないと学べないんですね。

楠木建、山口周『「仕事ができる」とはどういうことか?』(宝島社新書)
楠木建、山口周『「仕事ができる」とはどういうことか?』(宝島社新書)

その人がプレゼンをしているところを見ないと意味がない。

ところがセンスについては、ひとつ有利な面があって、それはセンスがある人の一挙手一投足、メモの取り方、商談相手への質問の仕方、会議の取り回し方、そしてデスクの配置、ご飯の食べ方、鞄の中に何が入っているのかというところまでも含めた、そのすべてにセンスが表れている。

だから一緒にいれば、なんでも学びになるわけです。確たるセンスを錬成する方法はないし、人によってそのセンスのあり方も千差万別なので標準的な習得方法はないのですが、センスがある人が身近にいればその人をよく視る。

これがいちばん手っ取り早いセンスの錬成法ですね。

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