認知症の薬が増量されていたことが発覚

医師に相談すると、認知症の薬が増量されていたことが発覚。以前の量に戻して1カ月経つと、落ち着きを取り戻した。

8月になると、母親は顔つきに覇気がなく、着替えができないばかりか、立つこともできず、トイレに行きたいとも言わなくなる。柳井さんや父親が何を言っても、「いや〜、何だか今日は何言ってんだかさっぱりわからねぇ」と何度も繰り返した。

その変化に父親まで不機嫌になり、柳井さんに当たってくる。

「お父さんがきつくなる前に施設も考えて、調べたり見学行ったりしないと……」と柳井さんが言うと、「わかってるよ! 少し様子見てちゃんと考えるから!」と父親。柳井さんは10月で復職する予定だ。そうなれば両親をサポートできる時間は減る。柳井さんは内心焦っていた。

2021年1月、「母親はもう息をしていなかった。73歳だった」

2020年9月、母親は微熱が続き、嚥下機能が落ち、意識混濁状態に。脳神経内科を受診すると、そのまま入院に。さまざまな検査の結果、なんと、余命4週間〜6週間と宣告される。

医師は、「お母様は普通の方と比べて頭の中の水分量が多く、うまく循環できていません。水頭症の状態です」と説明。髄液を採ったところ、がんの数値を示すCEAが高く、がん性髄膜炎の可能性が高いが、がん性髄膜炎は治療ができないという。

点滴をするシニアの手元
写真=iStock.com/akiyoko
※写真はイメージです

「がんを特定するには詳しい検査が必要になってきますが、お母様の体力では難しいと思います。治療ではなく、今後どのように過ごされたいかをご家族で決めてください」

この日から、父親はすっかり元気をなくしてしまった。

10月で1歳になる次女は、10月入園では保育園に落ちたが、11月入園という形で合格の連絡がきた。11月、転院が決定。母親は誤嚥を避けるため、経鼻経管栄養に切り替わった。

12月、柳井さんは職場復帰。

そして2021年1月、正午過ぎに母親の入院する病院から緊急電話があり、上司に事情を話し、会社を飛び出す。コロナ禍のため、体温測定や消毒、帽子やエプロンの装着を終えて病室に入ると、母親はもう息をしていなかった。73歳だった。

「お母さんありがとう! よく頑張ったね!」

まだ温もりの残る母親に、柳井さんは何度も声をかけた。