業績が悪化する前に経営者は何かひとつでも手を打ったのか

過日、人事コンサルティング会社フォー・ノーツの西尾太社長と対談する機会があった。その時の話の中で出てきたテーマのひとつが「不幸を生まないリストラ」だった。

リストラありきの時代に、西尾氏は不幸を生まない方法とは何かを熟考しており、いろいろと考えさせられた。

筆者も、これまで取材したリストラ案件の記事を振り返り、リストラに至る経緯や経営者の姿勢、社員の思いを検証し、自分なりに不幸を生まないリストラについて考えてみた。

解雇予告通知書
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そもそもリストラの原因が業績悪化であるとすれば、業績悪化を招く前にやるべきことは次の2つだ。

① 市場の動向を見据えて事業の縮小や新規事業領域への投資など構造改革に着手する
② 事業縮小で余剰となった人員を新規事業要員として職種転換教育の実施や不足する部門への配置を行う

これは経営のイロハであり経営者の責務であるが、これを怠り、業績悪化を引き起こせば明らかに経営者の責任である。ましてや社員のクビを切ることがあってはならないというのが1990年代初頭までの日本企業の不文律であった。

トヨタ自動車元会長奥田碩氏「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ」

ところが責任を感じて辞任する経営者は少なくなり、社員をリストラすることで責任回避しようという経営者が現れ始めた。

それに警鐘を鳴らしたのが、トヨタ自動車会長の奥田碩経団連会長(当時)だった。『文藝春秋』の1999年10月号で「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ」という論文を発表。その中で、奥田氏はこう書いている。

「人が余って仕方がないほど仕事が少なくなり、会社を小さくしたのは誰ですか、といえばこれはすべて経営者の責任です」
「仮に現在、人が余っているというのなら、その人材を使って新しいビジネスに生かす努力をしてこそ経営者というものです。それもできないようでは、経営者の名に値しません」

構造改革もしないで事業縮小を余儀なくされ、その結果、人員削減に踏み切るのは経営者失格というのは、奥田氏だけではなく、旧来の経営者が持ち合わせていた経営哲学であり倫理観だった。