「シグナル」が欲しかった

大学院は暇だから勉強するのは簡単だ、と思われるかもしれない。実際にはまったく逆で、工学部の大学院は、実験に明け暮れる毎日なのだ。夜まで実験が続くときもある。しかも、私の指導教官は、工学部でも有名なハードワーカーだった。

だから、公務員試験の勉強をする時間は限られていた。しかも、勉強していることを回りの人には言えない。実験の合間にこっそり勉強するようなことも多かった。

公務員試験を受けたのは、公務員になりたいからではなく、勉強した証明が欲しかったからだ。つまり、「シグナル」が欲しかったのである。

しかし、結局のところ、私は大蔵省(現・財務省)で働くことになった。人生のコースは、大きく変わった。

大学で教えていることは独学で勉強できる

私がこの経験を通じて確信したのは、「大学学部で教えている経済学なら、独学で勉強できる」ということだ。

私は、「大学で勉強することが無意味」と言っているわけではない。大学で勉強することには、重要な意味があると考えている。

それは、やや逆説的だが、「大学での勉強とはこの程度のことだ」と知りうることだ。

大学に行けなかった人がおちいる最大の問題は、「大学では大変高度な教育を行っており、それによって専門家が育成されている。だから、大学教育を受けなかった私は、専門家にはなれない」と思い込んでしまうことだ。

人間は誰も、知らないことに対しては、畏敬の念を感じるものだ。大学に行けなかった人にとって、大学はまさに近寄りがたい知の殿堂なのだ。そこで教育を受けないかぎり、知識労働者のグループには入れないと考えてしまうのは、無理もない。

しかし、そうではないのだ。

私が工学部を卒業してから経済学を独学で勉強したのは、「独学でも習得可能」という見通しがあったからだ。そして、その見通しは、工学部で学んだ経験によって生じていたものである。