求められる「スキル」が変わった
ある会社で社内の公用語を日本語から英語にする、というニュースがあった。「インターネットの普及で、英語力さえ備えていれば簡単に情報を得られるし、提携先企業との交渉も効率的に進められるから」だという。
これは、これまで一部の人にしか要求していなかった英語の能力を、基礎的なスキルとして全社員に求める時代になってきたことを示している。
ITについても、同じことがいえる。大型コンピュータの時代には、専門家だけがシステムを扱えればよかった。しかし、PC(パソコン)やインターネットの時代には、それらを扱えることが、すべての社員に要求される。
従来、企業で仕事を進める上で必要とされてきたのは、その企業に特有の業務上の知識だった。それは、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング:日常の仕事を通じる教育)によってしか習得できないとされてきた。
こうした知識が今後も必要とされることに変わりはない。しかし、それだけでなく、英語やITのように、社外でも通用する一般的なスキルが求められるようになってきたのである。
これは、新しい時代の到来を告げるものだ。日本社会は、そのような社会に向かって、いま大きく変わりつつある。
「学歴」が評価の対象になってきたワケ
これまでの日本では、個人がどれだけのスキルを持っているかでなく、その人の「学歴」が評価の基準とされてきた。
大学出身か否か、そしてどの大学の出身かが、さまざまな場合に重要な判断基準とされた。とりわけ採用の際には、このような形式的な基準が重視された。
背景には、日本企業の雇用慣行があった。日本ではこれまで、大企業を中心として「終身雇用制」が支配的だった。もちろん、文字通り「終身」であるわけではないが、人生の主要期間をカバーする数十年間にわたる雇用契約が多かった。
この慣行のもとで新入社員を採用する際にもっとも頼りになる情報は、出身校名だ。なぜなら、学業成績と一般的能力の間には、一定の相関関係があるからだ。だから、学歴は、数時間の面接で得られる情報より確実な情報だ。
学歴を根拠として採用するのは、企業にとって、もっとも安全な方法だったのである。
もし学歴を無視して選考を行い、その結果不適切な人材を採用してしまえば、長期にわたる雇用契約だけに、雇用者側の損失は大きいだろう。
こうして、終身雇用慣行のもとで学歴重視が支配的になった。