縁故・門閥よりはるかに有効だった「学歴」基準
1980年頃までの日本では、これが支障なく機能してきた。むしろ、縁故や門閥などを基準とするよりも優れた人材を登用できた。
このことの意義は、決して無視できない。開発途上国では、縁故などによる採用が一般的なので、優秀な人材が重要な職に就けないことが多い。日本はそのような問題を回避したという評価も可能だ。
もちろん、学業成績は能力と完全に相関しているわけではない。とくに、創造的能力との相関は、さほど強くない。
しかし、1980年代までの日本企業で必要とされてきたのは、創造的能力ではなかった。むしろ、組織内での協調性のほうが重要だった。
それは、日本社会全体が、キャッチアップ過程にあったからだ。追いつくべき目標は、先進国というモデルとして存在していた。
このように明確な目標に対して効率を向上させるのが主要な課題である社会では、学歴重視のシステムは、比較的うまく機能するのだ。
前提の変化:「新しいスキル」「創造性」の時代へ
しかし、時代は大きく変わった。日本をとりまく世界経済の環境が、大きく変化したのだ。
第一に、中国をはじめとするアジア諸国が工業化した。これによって、高度成長期に日本が得意としてきた産業分野、とくに製造業が、もはや日本の独占領域ではなくなった。それどころか、いくつかの分野で、アジア諸国は日本を追い抜きつつある。
第二に、インターネットなどの新しい情報技術を活用した産業が、新しい中核的産業として登場した。
こうした新しい産業では、与えられた枠内での業務を効率化するだけでなく、新しいアイディアを構想し、それを事業化していくことが求められている。単なる協調性ではなく、新しいスキルや創造力が求められる時代になったのだ。
日本をとりまく国際環境の変化や、新しい技術の発展に対応して、日本社会も大きく変わらなければならない。
第一に、産業構造が大きく変わらなければならない。そうした変革のためには、労働市場が流動化せざるをえなくなる。従来の雇用慣行は崩れ、終身雇用制は維持できなくなる。そのため、学歴社会も崩れる。
日本社会は、すでにこの段階に入っている。
第二に、新しい技術が支配的になると、年功序列制も維持できなくなる。これもすでに進行しつつあることだ。
このような傾向は、最近、加速している。デジタルトランスフォーメーション(DX)といわれるように、仕事の進め方の全体を、企業として変革する必要が生じているのだ。このため、個々の社員のITスキルが生産性のカギを握るようになった。