この秋、トヨタが軽に参入する。「死活問題や!」とダイハツディーラー。スズキは間隙を突いて首位に返り咲くのか。そして三菱・日産が提携で目指すものは……。今、この市場から目が離せない。

1955年10月、鈴木自動車工業(現スズキ)は同社にとって初の四輪車である軽自動車「スズライト」を発売する。価格はセダンが42万円など。軽自動車のため車体検査はなく、税金は1500円(小型車は1600円)だった。前輪駆動で360cc空冷二サイクル二気筒エンジンが搭載されていた。この年5月、通産省(当時)の国民車構想(国民車育成要綱案)が新聞に載る。国民車構想を直接意識したわけではないが、同構想で示された規格を満たす最初の車が58年に登場する。富士重工が発売した「スバル360」だ。わが国の軽自動車の歴史は、「スバル360」により実質的に始まる。

それから53年間が経過。軽自動車はわが国独自の規格として、生き続けている。現存する代表的なガラパゴスかもしれない。「国内市場での軽のウエートは上がるでしょう」と深津。トヨタの参入によりトラックメーカーを除く国内全社が軽を扱うため、「優遇税制を廃止しようとする動きがなくなったのは大きい」(後藤)。鈴木修も「トヨタの軽参入はウエルカム」と発言する。

日本の軽自動車は、世界に通用する実力を有している。「僕は鈴木修さんに次いで、軽自動車を愛する男」と自称する相川哲郎三菱自動車工業常務は、「世界最高の安全基準をもつ軽は、そのまま世界で通用する規格。スタンダードになれる」と指摘する。

大手部品メーカー、ミツバの日野昇会長は「需要が急増していくインドネシアなどのアジアを中心に、軽の規格は標準になれる。横幅はほんの少しだけ広げたほうがいい」と話す。

アジアを中心にモータリゼーションは著しい。「トヨタについて申せば、中国、インド、ロシアなどで伸びていくと、近い将来1000万台の生産規模も考えられます。国内は伸びませんが」(深津)

スズキはインドで、軽自動車のプラットホームに800ccから1000ccのエンジンを積んで成功を収めている。最近では、昨年フルモデルチェンジして発売した「1000ccエンジンのワゴンRが、月1万台売れている」(鈴木修)と言う。

さて、今回トヨタが参入したことで、日本国内で販売される軽は800ccエンジンを積めるよう、早急に規格改定するべきだろう。98年の最後の規格改定では、本当は800ccにするはずだった。ところが、軽を扱っていないトヨタから“待った”がかかり、ボディが大きくなったのに現状の660ccエンジンのまま据え置かれた。この結果、ヴィッツなど小型車と比べ、軽自動車は燃費性能で劣るのだ。800ccを積んで燃費性能が高まれば、復興に挑む被災者はもちろん、原油価格の高騰にも対応しやすくなる。

軽の技術で、急拡大するアジア市場への低価格車開発も容易だろう。だが、軽はもっと大きな可能性を秘めている。(文中敬称略)

(田辺慎司、藤井泰宏=撮影)