歴史好きとして知られるお笑い芸人のビビる大木さんは、悩みがあるとき、渋沢栄一の言葉に励まされるという。大木さんと対談した論語塾講師の安岡定子さんは「渋沢栄一の考え方の基本には、『人間の本性は善である』という孔子の教えがある」と指摘する――。(後編/全2回)
芸人のビビる大木さん
撮影=大沢尚芳
芸人のビビる大木さん

「お笑い界の中間管理職」に響いた言葉

【ビビる大木】渋沢栄一の考え方の根本には、世のため人のためという信念がありました。その信念と生き方は、渋沢さんが「もっとも欠点の少ない教訓」と呼んだ『論語』に由来していると安岡先生に教えていただきました。渋沢さんは生涯、孔子の言葉に励まされ、勇気づけられて91歳という長い人生を走り抜いたわけです。

一方、僕は今46歳。お笑い界の中間管理職的存在です。大物先輩芸人と大勢の後輩芸人に挟まれて、これまで何を成し遂げたのか、これからどう生きるのかと悩みはつきません。渋沢さんは僕の年齢の頃は、すでに多くの会社を設立して大活躍されていた。渋沢さんの著作を読んでみて、今度は僕が渋沢さんの言葉に励まされ、勇気づけられました。

【安岡定子】論語』に裏付けられた渋沢さんの言葉ですね。どんな言葉が印象に残りましたか。

【大木】「人間は不平等である。しかし、天から見れば、人間は皆同じである」という言葉があります。渋沢さんの生家はお金持ちで、学べる環境もあり、ご本人も生来優秀だったと思いますが、人間は生まれる場所を選べません。だから生まれによって差があるのは当然ですが、同時に人間は皆同じであるとは、どういうことかな、と。

【安岡】大木さんは、どんな風にお考えですか。

【大木】例えば、誰でも1日24時間、同じ時間を与えられている。それをどう使うかは自分次第で、それぞれが自分で考えて、世のため人のため、そして自分のために有効に使おうということかなと思います。

よき習慣とよき教えで差はついてしまう

【安岡】いいところに着目されました。『論語』に「教え有りて類無し」、「性、相近し。習い、相遠し」という言葉があります。前者は、人間は生まれたときはすべて平等で、どんな教育を受けたか、どんな人物に出会って影響を受けたかによって変わってくる、後者は、生まれた後の習慣で差が出てくるという意味です。よき習慣とよき教えで差がつくというのが孔子の考え方ですね。

【大木】結構いいセンいってましたね(笑)。要は毎日の地道な努力の積み重ねが大事ということですか。

【安岡】そう思います。「人間の能力なんて、そんなに差なんかありゃせんわ。だから努力や習慣が大事なんだ」というのが、私の祖父の安岡正篤の口癖でした(笑)。