元暴5年条項という社会権の制約

暴力団離脱者の社会復帰が進まない理由のひとつに、暴排条例が内包する「元暴5年条項による障壁」が指摘されます。暴排条例においては、暴力団を離脱しても、一定期間(おおむね5年間、あるいは5年超)は、暴力団関係者(暴力団員等)とみなされ、銀行口座を開設することも、自分の名義で家を借りることも、携帯電話の契約も、保険などへの加入もままなりません。教習所に通ってバイクの免許を取ろうとしたら断られたと、知り合いの離脱者(10年以上前に離脱)は言います。

要するに、契約という行為が一切できないのが現状です。口座がない、携帯がないと、昨今では就職先もありません。筆者が法務省保護観察所の更生保護就労支援を行う際、難儀したのは、こうした人たちの支援です。

一方、2019年、永田町を騒がせた内閣総理大臣主催の「桜を見る会」の招待客問題──「反社を招待していた」とマスコミが取り上げました──で話題になった一人で、暴力団を離脱して郷里に戻り一から信用を積み上げ、奈良県高取町議になった新澤良文氏のケースは、我が国の不寛容性を如実に表しています。「反社というラベル」を一度貼られたら、反省し、カタギで頑張ろうが、そのことを忘れさせてくれない日本社会の厳しさを再確認する代表例と思います。

この問題は、『FRIDAY』2019年12月6日号(11月22日発売)にて、「安倍晋三総理主催『桜を見る会』元山口組組員まで招待されていた」という見出しの記事で掲載されました。掲載後の12月4日、新澤議員から筆者に届いたメッセンジャーには、やるせなさが滲んでいます。

「今度は文春が来ました。日陰者が表舞台で滅私奉公することの難しさを実感しました」

離脱から20年以上の歳月が経っているのに…

平成9年頃に山健組の枝組織である臥龍会からきれいさっぱり足を洗って以来、郷里で頑張ってきた町議が、令和に改元する年の「桜を見る会」に参加したばかりに、「反社会的人物を招待していた」とマスコミ各社が大騒ぎするのが、日本社会の悲しい現実です。新澤議員は、各自治体の暴排条例が定める「元暴5年条項」の縛りを十二分にクリアしており、もはや反社ではありません。このタイミングで記事になる理由が筆者には理解できませんでした。

銃を持つ男性の手元
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この記事に対して、新澤議員の地元の有権者は、「Ⅹちゃん(=新澤議員 筆者注)のことを、過去も含めて知らん町民はおらんのです。元ヤクザっていうのも誰でも知っとる。それでもⅩちゃんが町議になれたんは、人徳があってこそ」と記者に語っています(NEWSポストセブン2019年12月3日)。

ちなみに、前回、前々回と、選挙ではトップ当選しているそうです。筆者が見るところ、これは政治的な意図に基づいた、公職に就いている暴力団離脱者への糾弾であり、反社への不寛容な世論を味方に政権叩きに利用した事例であるといえます。新澤町議は当時52歳、30歳の頃に離脱したと言いますから、20年以上の歳月が経っています。反社という負のラベルは、いつになったら剝がしてもらえるのでしょうか。