すべてはコロナの初期対応に失敗したツケ
他方、マスクをしている人=政府とメディアが作り出した茶番劇にだまされ、いまだその「コロナは恐ろしい」という洗脳から抜け出せておらず、同調圧力の担い手となっている人々とのレッテルが貼られ、前者と同様、勝手に思想的なものと重ねて、排除したり、揶揄する者が少なからずいるのです。あたかもマスクの有無がどの部族に属しているかを示す装飾具の役割を果たしてしまうわけです。
バカバカしい話に聞こえるかもしれませんが、これまで述べてきた対立軸と複雑に絡み合っていることを考えると、一時の感情では済まない問題を含んでいることが理解できるのではないでしょうか。
まとめます。①コロナのキマイラ的特性による危機意識の分裂化、②国家の機能不全に根差した経済か人命かの二択化、③ニューノーマルの生活様式のイデオロギー化。この3つが目下進行しており、これらが社会を分断させる主な対立軸として機能しているということなのです。
処方箋は、身もふたもないかもしれませんが、コロナの収束にかかっています。つまり、すべてはコロナの初期対応に失敗したツケによって、わたしたちは不安と不満でエゴをむき出しにする人々を日々目撃しているのです。
いずれにしても、わたしたちは今後も、経済学者のジャック・アタリが提唱した健康や文化、住宅、食糧、農業などの命に関わる分野を重視する「命の経済」とはあまりに程遠い、趣味の悪い冗談のような光景と付き合わざるを得ないのです。