大陸ヨーロッパの分断を図ることが基本戦略

島国イギリスの基本的な国家戦略は、大陸から攻め込まれないために、ヨーロッパ大陸の統一を阻止することでした。特定の国が力を持ち始めると、イギリスはその敵対勢力と手を組んで巨大帝国をたたいてきました。常にヨーロッパの国々をいがみ合わせ、ヨーロッパの分断を図ることがイギリスの戦略だったのです。

16世紀の大航海時代、スペインがアメリカを手に入れて世界最強国家になると、イギリスはスペインに敵対する国々と手を組み、スペインの無敵艦隊を撃滅しました。17世紀に入って、フランスのブルボン王朝(ルイ14世)が勢力を強めると、周辺の国々と同盟を結びフランスと戦いました(スペイン継承戦争)。

19世紀、ナポレオン率いるフランスがヨーロッパ全土を占領すると、フランスを封じ込めるために対仏同盟を組みました。20世紀の2度の世界大戦では、今度はドイツを封じ込めるべく他の欧州諸国と手を組むのです。

これらの戦いにおいて、イギリスはすべて勝利を収めています。しかし、戦勝国になっても、大陸の領土を求めませんでした。あくまでヨーロッパ分断を狙い、出るくいを打つだけです。大陸に深入りしない姿勢は徹底しています。

そうした背景から、イギリスは欧州統合につながる動きを警戒していました。

植民地の喪失がもたらした1973年のEC加盟

そのイギリスが、ECに加盟したのは1973年のことです。ヨーロッパに深入りしない主義のイギリスが方針を転換したのは、なぜでしょうか。

背景には、植民地の相次ぐ独立がありました。イギリスは寒冷で土地がやせているため、農業には向きません。国土も日本の約3分の2しかなく、資源にも乏しい。「関東以北しかない日本」、それがイギリスです。そのような国がどうやって発展してきたかといえば、貿易です。世界各地に植民地をつくり、それらの地域との自由貿易によって、ヨーロッパに頼らず生きてきました。

ところが、第2次世界大戦で疲弊したイギリスは、植民地の独立運動に直面しました。オーストラリアやニュージーランドなどの旧植民地とは、イギリス連邦を形成してゆるやかなつながりを保ったものの、経済的な結びつきは次第に弱まっていきます。

1970年代に入ると、オーストラリアの貿易相手国として日本やアメリカが台頭し、イギリスを抜きます。昔のような植民地貿易で稼ぐスタイルが立ち行かなくなったイギリスは、ECに新たな市場を見いだすしかなかったのです。