ポンド体制は維持したままの加盟

イギリスはもろ手を挙げてEC加盟を歓迎されたわけではありません。「これまで散々好き勝手に振る舞ってきたのに、困ったから助けてくれとはどういうことだ」とフランスのド・ゴール大統領が憤慨して、イギリスの加盟を阻止したのです。

フランスは農業国であり、イギリス連邦諸国からの安い農産物の流入も警戒していました。イギリスが晴れてECに加盟して統一市場を手に入れたのは、ド・ゴール大統領が引退した後の1973年のことです。

1972年1月22日、ベルギー・ブリュッセルのエグモント宮殿で、ECの共同市場条約に調印するエドワード・ヒース英首相(当時、前列中央)。この翌年、イギリスのECへの加盟が実現した。
写真=AP/アフロ
1972年1月22日、ベルギー・ブリュッセルのエグモント宮殿で、ECの共同市場条約に調印するエドワード・ヒース英首相(当時、前列中央)。この翌年、イギリスのECへの加盟が実現した。

EC加盟後も、イギリスは独自路線を貫きました。一つには、自国通貨ポンドを手放しませんでした。19世紀、まだアメリカが世界の覇権を握る前に世界の基軸通貨だったポンドを維持し、統一通貨ユーロを導入しないことを加入の条件として認めさせたのです。

イギリスがユーロ導入にメリットを感じなかったことも、ポンドを押し通した理由です。製造業でもうけたいドイツとは違い、イギリスは金融業で稼ぐ国です。つまり、海外の資源やビジネスに投資して利益を得ているのです。海外へ投資する場合、強い通貨のほうがより多くの資産に投資できるので有利です。安いユーロに参加してもメリットはなく、むしろ強いポンドを維持したほうが好都合です。

イギリスにとっては「いいとこ取り」

通貨だけではありません。移民の受け入れも拒みました。イギリスは域内の人の往来を自由にするシェンゲン協定を結んでいないため、移民は自由に国境を超えてイギリスに入ることができません。また物理的にも、ドーバー海峡を難民が渡るのは困難です。ただし、これにはイギリス側の事情もありました。過去に旧植民地の国々から大勢の移民がやってきたため、すでに受け入れのキャパを超えていたのです。

こうしてみると、イギリスにとってEC加盟は悪い話ではなかったことがわかります。通貨は手放しません、移民も受け入れません、市場だけ開放してください─―このような“いいとこ取り”が認められたのは、ECにとっても加盟国が増え、市場が広がるのはウエルカムだったからです。

また、当時は移民問題もそれほど深刻ではなく、むしろ人手は不足していて、安価な労働力として移民が必要でした。