2020年12月31日をもって、イギリスは正式に欧州連合(EU)を離脱した。人気世界史科講師の茂木誠氏は「イギリスが生き残る道は、アメリカとの自由貿易協定で北米市場と結びつくこと。もう一つは日本主導のTPPへ加盟し、環太平洋地域に市場を求めること」という——。(第2回/全2回)

※本稿は、茂木誠『世界の今を読み解く「政治思想マトリックス」』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

規制緩和や市場原理の導入でイギリス経済の立て直しに取り組んだマーガレット・サッチャー首相(1982年10月15日)
写真=REX/アフロ
規制緩和や市場原理の導入でイギリス経済の立て直しに取り組んだマーガレット・サッチャー首相(1982年10月15日)

社会主義路線の挫折から「サッチャリズム」へ

1979年、ついに労働党の社会主義路線に終止符が打たれます。新自由主義経済を掲げるサッチャー保守党政権が誕生したのです。

「鉄の女」の異名をとるマーガレット・サッチャー首相は、国営事業の民営化をはじめとする数々の経済政策を断行し、イギリス経済の立て直しに乗り出します。日本で言えば、1980年代後半、自民党の中曽根政権が国鉄、専売公社、電電公社を民営化したのと同じようなことをやったわけです。

さらに規制緩和によって外資の参入を認め、市場原理による自由競争をイギリスに持ち込みました。これら一連の経済政策を「サッチャリズム」と呼びます。

方針を大転換した「ニュー労働党」

サッチャリズムによってイギリス経済は回復したものの、経済の自由化に大きく舵を切ったことで、失業率の上昇と経済格差を招き、国民の不満は高まりました。サッチャリズムは次のメージャー政権に受け継がれましたが、格差を広げた保守党政権への国民の不満が募り、1997年、政権はブレア党首が率いる労働党に移りました。

しかし、ソ連が崩壊して冷戦が終結すると、拠り所を失ったイギリス労働党の勢いに陰りが見え始めました。そこで労働党のブレア政権は、生き残りをかけた方針の大転換を図ります。アメリカ的自由主義経済やグローバリズムも認めることにしたのです。